「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。初出版した「ねこ背は治る!」に、何となく書いた一文、「常識とは、ただの多数決である」が意外に多くの人に刺さり、SNS上で引用されているのを多く見ました。
特に日本は、常識を楯にした同調圧力の強い社会です。常識との付き合い方は、一度は真剣に考えておくべきテーマでしょう。
常識とは、単なる多数決である
二種類の常識と、その役割
一般的に常識と呼ばれるものには、知識と価値観、二つの種類があります。知識の常識を知らなければ、無知と見なされます。価値観の常識から逸脱すれば、人間性を疑われます。
国際的に広く、国、地域、文化圏、職場、趣味の集まり、家庭、特定の交友関係など、分野ごとに常識は形成されます。
常識と常識未満のものとの境界線は、確認の必要があるか否かです。例えば日本人であれば、家に上がる時に、いちいち「靴を脱いで、お上がりください」とは言いません。お葬式の前に、「大声での雑談はご遠慮ください」とアナウンスもしません。常識として共有されているのが、前提だからです。
常識として共有されているなら、他人に一定の知識や価値観を期待できます。そこでの注意、確認、警戒の必要性がなくなります。その範囲においては、阿吽の呼吸が機能します。
価値観の常識の不一致は、完全には埋まらない
知識の常識については、さほど大きな問題ではありません。いえ、困ったことになる、実害が出る、という意味では大きな問題になり得るのですが、解決方法は単純です。ただ、覚えれば良いだけの話です。
問題なのは、価値観の方です。人間には共通の普遍的な感性があり、突き詰めれば大元の価値観に違いはありません。しかし表面的で細かくなる程、価値観は多種多様になります。
常識となる価値観は、その集団内で多数派の感覚を基準にしています。価値観において非常識な人は、この感覚が共有されていません。価値観の違いを自覚して歩み寄れはしますが、そこを完全に合わせるのは難しいです。
多数決によって、常識は決まる
常識の常識たる所以は、圧倒的な勢力の大きさです。その集団内において、誰もが当たり前のように知っている。異論など挟む人がいないくらい、価値観が共有されている。というレベルまで浸透して、いつの間にか常識と位置付けられるものです。
ただ多数決は、あくまでも多数決です。間違った知識が蔓延して常識化したケースなど、いくらでもあります。タバコも副流煙の害が言われる以前は、吸っている本人だけに健康被害があると思われていました。運動中は、水を飲まない方が良いとされてきました。
また価値観においても、集団で道を踏み外すのは、珍しくありません。例えば、あの激辛カレーを無理矢理に食べさせられた教員同士の虐めは、その典型例です。彼らにとっては、その虐め行為は何らかの根拠をもって、是とされていました。
間違った知識は、辻褄が合う、説得力がある、という条件だけで定着し得ます。常識化したなら、もはや疑う余地なく受け入れられます。
偏った不適切な価値観は、同種の人間が集まれば、簡単に常識化します。また情報が間違っていても、価値観は歪みます。ネット上では政治的な立場、思想の違いでブロックに分かれて、互いに対立する勢力を揶揄、攻撃し合っています。その中では、相手陣営を貶めるための間違った情報が共有されているケースが、非常に目立ちます。
常識に縛られない生き方
バイアスで情報を選り好みしない
先入観、政治的な立場、思想上の都合があると、バイアスをもって情報を受け取りがちになります。
例えば、原発に反対という立場であった場合、現実の汚染はもっと酷い、原発は不要だ、という方向性の情報であれば、何でも事実として受け取りたくなります。そこに活動家によるデマが混ざっていても、論拠が示されていなくても、疑いません。
自分達が全体から見て少数派であれば、常識から解放された優秀な存在であると、自負したくなるかもしれません。しかし逆側で縛られるなら、本質的には同じことです。
バイアスで選り好みせず、情報に対しては公平な姿勢でありましょう。
新しい知識にアンテナを張る
今、持っている知識の中には、必ず間違いが含まれています。しかしその真偽を、自ら検証するのは困難です。検証するには、まず疑いが必要になります。疑うだけの切っ掛けがなければ、焦点すら合わせられません。
ですから常に、新しい情報には敏感でいます。他人との会話、本、テレビ、SNSなど、情報を得る媒体であるなら、何でもそうです。「あれ、思っていたのと違う」と少しでも引っ掛かったなら、調べるようにしてください。
僕の場合には、スタンフォード監獄実験が、創作されたシナリオであり、再現性もないという見解を数か月前に知りました。
合理性は更新される
社会環境、精神文化、技術、知識などが変われば、合理性は変わります。以前は常識として共有されてきた価値観は、連れて通用しなくなります。
例えば、副流煙の害について認識がなく、吸っている人だけに健康被害が出ると認識されていた時代では、タバコはどこでも吸って構わないものでした。タバコの煙を嫌う人はいましたが、健康に害がない以上は、ある程度は我慢するのが当たり前でした。だから喫煙者たちも、一切の許可を取らず、他人が側にいても当たり前のように吸い始めます。
ところが副流煙に害があると知れ渡ったなら、合理性が更新されました。次第に喫煙の自由がなくなり、現在では、屋内施設での喫煙全般が禁止されるに至っています。
女性が社会進出を進め、男性と対等に働くようになった時代では、「女性とは、こうあるべきだ」という価値観も更新されます。以前の、気立ての良さ、控えめを推奨されていたメンタリティーは、良い結婚相手を見つける上では合理性がありました。
しかし社会に出て、男性と対等に競い合うのであれば、邪魔でしかありません。こうして、女性はこうあるべき、女の子はこうやって育てるべき、という価値観も変わらざるを得ません。
このような合理性の更新に、どの段階で気付き、自分の価値観を合わせて更新できるのかで、常識からの縛られ具合が判ります。いち早く気付き、更新した価値観を公表するものは、常識を変えていく先駆者です。
考えなしの前例踏襲
日本では、前例踏襲を好む傾向があります。そのやり方、方法が最善かを検証せずに、それまで上手く行ってきたものを、失敗して行き詰るまで採用し続けます。
それでやっておけば正しいという見解が、常識になっている訳です。ただ過去とまったく同じ状況は有り得ないので、同じように上手く行くとは限りません。失敗しないまでも、より良い結果を逃している危険性もあります。
常識に縛られないとは、このように思考停止せず、より良い可能性に意識を向ける姿勢でもあります。
自分らしさは失わない、社会の好ましい一員から踏み外さない
価値観の常識と、自分のそれが合わなかった時、人はどうするべきでしょうか? 価値観の常識に縛られないとは、結局のところ、この両者の兼ね合いの話です。
全てを折れて、常識に逆らわない生き方もあります。真逆に、強く自己主張をして、全面的に戦う生き方もあります。万人にとっての、共通の正解はありません。
ただ絶対にこれだけは正しいという、二つのルールがあります。
・自分らしさは失わない
・社会の好ましい一員から踏み外さない
自分の価値観に、あまりにそぐわない生き方をしていたなら、その人の心は死にます。自分にとって重要な価値は、譲ってはいけません。例えば、会社が卑劣な業務を命令してきて、正義感で許容できないレベルなら、従うべきではありません。
いくら社会の常識が間違っているとしても、それで反社会的な存在になってはいけません。ディズニーランド内で、惨たらしい写真で主張をアピールする。夜中に大きな音で騒ぐ。SNSで個人への誹謗中傷を繰り返す。などは、好ましい社会の一員としてあるまじき行為です。
常識と戦う、社会を変える、といったものを根拠に、社会の一員として逸脱はしない。この二つの基準の範疇であるなら、常識に従うも、抗うも、自由にやって良いという考え方です。
価値観の常識に従っている姿は、縛られているのと表面上は同じです。しかし生存戦略として従うのとでは、中身がまったく違います。ただそれで、内面の自分らしさまで失ってしまえば、本末転倒です。
常識に縛られないとは言っても、行き過ぎればワガママで身勝手な人、価値観の押し付けが激しい人になります。ここの最低限のバランスを取った上での自由です。
まとめ
常識には、知識、価値観、の二種類がある。知識の常識については、解決策は簡単。知れば良いだけ。問題は、価値観の常識の側にあり、こちらは完全に一致はしない。
圧倒的な多数が当たり前のものとして共有している知識と価値観が、常識と位置付けられる。それらは多数決に過ぎないので、誤りも生じる。
常識に縛られない生き方とは、バイアスで知識を積み重ねない、新しく正しい情報にアンテナを張っておく、状況の変化で更新された合理性に切り替える、常に何が最善かを考える、といった意識によって、もたらされる。
この時、価値観の常識に、自分を見失うほどに埋没しない、反社会的な人間にまで我を通し過ぎない、というバランス感覚も求められる。
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