「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。必要ないものは、要らない。要らないものを持ち込むのは、悪だ。このような発想で、学校では多くのものが禁止、制限されています。いったい、何の意味があるのか? と首を傾げるものも少なくありません。何のために存在するのか、意味不明な校則も多くあります。
必要ない → 関係ない に置き換えて検証してみると、すっきりと整理できます。
学校、教育現場で横行する、不合理な禁止や校則
キャラクターもの禁止、妹の子が通っていた小学校
学校では、キャラクターものは禁止。日本の小学校では珍しくない、むしろスタンダードな規律だと思います。きっと多くの人が、プリキュア、妖怪ウォッチ、遊戯王、仮面ライダーなどの文房具やバック、洋服などが教室で目立っていたなら、自由な学校だなという印象を持つでしょう。
妹の子が通っていた小学校も、そのスタンダードな一校でした。ただおそらく、線引きが非常に特殊であったと思われます。キャラクターものを禁止にしたら、じゃあ、どこからがキャラクターなのか? という線引きが問題になります。
これは僕の想像なのですが、おそらく個別に考えていくのが面倒くさかったのでしょう。生き物モチーフは、全てキャラクターと見なす。という原理主義が生まれました。当然、ロボットの類のダメでしょう。
プリキュアや妖怪ウォッチがNGなのは当然として、ここに何と、PUMAも含まれました。あのネコ科の猛獣、ピューマのシルエットが描かれているアレです。……ということは、ワニのLACOSTEも駄目だし、ペンギンのマンシングウェアも駄目です。一方、NIKEやADIDASのロゴであれば、生き物モチーフではないので可です。
また事もあろうに、荒川区のイメージゆるキャラ「あら坊」がプリントされた鉛筆も、同様の理由で学校に持ち込めません。荒川区が、「これで勉強してね」と渡してくれたにも関わらず、です。
禁止される理由は、
・学校は勉強をしに来る場所、キャラクターは必要ない
・授業中に、キャラクターに気が散ってしまう
の2点でした。場所によっては、ここに盗難事件が起こるから、が加わります。大枠で言えば、「学校は遊ぶところではない。勉強に、キャラクターは必要ない」からです。
髪を結ぶゴムは、黒または紺、または茶
髪に関する制限も、学校では当たり前です。染めるの禁止、パーマ禁止、ヘアアクセサリー禁止、元から茶っこい人、くせ毛の人には、証明を求める。髪を結ぶゴムは、黒、紺、茶など地味な色に限る。など、皆さんも、よくご存知でしょう。
高校球児の坊主頭も、近年ではかなり緩んできましたが、散々、議論の対象にされてきました。
こうしたものの理由は、「勉強、スポーツに洒落っ気は必要ないから」です。
荒川区の誇るゆるキャラ、あら坊
不合理な規制を、どう正すのか?
「関係ない」に置き換えてみる
確かに、勉強するのに、キャラクターも洒落っ気も必要ありません。スポーツをするのに、長髪である必要はありません。必要ないのであれば、排除すべきという考え方です。
しかしこの「必要ない」を、「関係ない」に置き換えてみるとどうでしょうか?
「勉強するのに、キャラクターも洒落っ気も関係ない」 → 「関係ないなら、どうでも良い」 → 「各自、好きにすれば良い」
と、なります。高校球児の坊主頭も、同様です。
仮に、キャラクターものを禁止して、一切の洒落っ気を禁止して地味にさせて、成績や運動のパフォーマンスが向上するのであれば、合理性があります。しかし関係ない、特に差が生じないのであれば、禁止する意味がありません。
必要ないから禁止されているものを、「関係ない」に置き換えて問題が発生しなければ、その禁止には意味がない。こう覚えておくと、判断に迷わなくて済みます。
関係ある、禁止すべきものもある
しかしだからと言って、全てを自由にして良いわけではありません。PUMAやあら坊を禁止する意味はありませんが、萌え系のアニメ絵が大きくプリントされたTシャツが目の前にあったら、さすがに気が散るかもしれません。顔にピアスを空けて紫色のアイシャドーでもされたら、さすがに怖くて気が散るでしょう。
ファッションとは基本的には関係ありませんが、その主張が強すぎれば、関係も出てきてしまいます。周囲の人たちの精神状態、感情への悪影響は、勉強に関係があるからです。
またそういった線引きは、一律では有り得ません。何を目的にしているのか、どのような構成メンバーなのか、によって合理的なラインが変わります。穏やかな生徒の集まる進学校と、問題児が集まる矯正施設のような場所とで、同じラインで良いはずはないですよね。
意味のない禁止と規制は、茶道や柔道などと同じ
茶道や柔道を、思ってみてください。もしも美味しいお茶を淹れるのが目的であるなら、競技としての柔道で強くなるのが目的であるなら、そこにある礼儀作法に意味はありません。
これらは、礼儀作法を身に付けること、あるいはそのような環境に身を置くことそのものも、目的になっています。
つまり学力の向上に意味のない禁止と規制に縛られたその環境は、勉強道の場と言えるでしょう。野球部なら、野球道ですね。
昔の、貧しい学のない家庭の子が集まる環境では、勉強道のような場が必要だったのかもしれません。反骨心が強いはねっ帰りをまとめるには、全員を坊主頭にして没個性を徹底して、という方法は合理的だったかもしれません。
時代が変わって合理性が変わって、価値観や考え方は、後から付いていきます。形成された当時は時代にマッチして違和感のなかった勉強道や野球道も、次第に劣化して噛み合わなくなり、弊害の部分が目立ち始めます。
そこが一般常識から見て、ありえない特殊空間にしか思えなくなったら、変え時です。
まとめ
教育現場、学校での禁止事項、校則には、「学生はこうあるべき」という価値観が反映されています。時代に合わなくなっても、ルールや価値観だけが残ってしまう現象は、社会の随所に見られます。また教師個人の価値観や感性によって、大きくその運用のされ方も変わります。
「必要ない」で否定されるものを、改めて「関係ない」で検証すると、今の時代に適した姿に更新できます。
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