「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。男尊女卑の世界観において、主婦の行う家事労働は、低く見積もられてきました。
その反動もあって、「専業主婦は、給与換算すれば年収1000万円に相当する」といった見解が広がるなど、その価値を見直す動きも目立ってきています。
しかしそこには、脱しきれない大きな問題が根底にあります。フェミニストなどは女性差別の絡みを主張しますが、本質はもっと単純なところにあります。
家事労働と収入を得る仕事
専業主婦には、年収1000万円の価値があるのか?
まず年収1000万円ですが、業者に外注した場合にかかる費用を根拠にしています。しかし計算をしてみると、この数字は額を盛っています。一時間あたり3000円で、一日10時間の労働を365日、休みなしでやってもらって、ようやく1000万円という数字です。
元になった記事では、数字を大きくするために、算出基準が操作されていると考えられます。社会に大きなインパクトを及ぼした結果から見れば、その試みは成功したと言えるでしょう。1000万円は大きく出過ぎであっても、「価値のない雑用ではない」と認識を改める切っ掛けになったのですから。
別の算出基準で、350万円程度に収まる意見もあります。また自分の生活の為という部分を差し引くなら、その相当金額はさらに低くなるでしょう。
家事労働の相対的な価値は、どうしても低くなる
収入を得る仕事に対して、家事労働には、大きく異なる点が二つあります。
・求められる難易度が低い
健全な生活を維持する為に求められる家事は、高難易度とは言えません。料理一つを取ってみても、レストラン級は求められませんし、クリーニング店のような仕上がりも要求されません。
普通に健康な人間であれば、慣れれば誰でも無理なく達成できるレベルです。
・精神的な重圧が少ない
金銭を稼ぐ仕事には、当然のこと、それを支払う人間がいます。お金を払うのですから、成果に対して相応の期待があります。顧客を維持する為にも、クレームを貰わないためにも、その期待に沿わなければなりません。
また通常、どのような仕事にも、競合するライバルが存在します。ライバルに負ければ、満足な収入は得られません。
雇用されている個人の立場から見ても、状況は同様です。会社からは給料並の仕事を要求されますし、より優れた人物に立場を奪われるリスクは、常に存在しています。
精神的な負担を比較すれば、家事労働のそれは軽いものです。さほど高いレベルの成果は期待されませんし、そこそこで文句も言われません。よほど酷く家事放棄でもしない限り、離婚という話にもなりません。
以上の事から、相対的に家事労働が低く見られるのは、避けられない部分があります。労働時間が長くても、肉体的に多少の疲労はしても、金銭を得る仕事ほどに大変で価値があるとは認められないのです。
勿論、家庭によって差はある
ただ勿論、それぞれの家庭によって違いはあります。あくまでも、標準的な家事労働の一般的なラインでお話をしております。
家庭に拠っては、非常識なまでに高水準を求められるケースもあります。義両親との相性が悪く、多大な精神的苦痛の中にある人もいます。
そこに育児を入れたなら、特に産まれたての赤ん坊の時期には、ブラック企業も顔負けの過酷な環境に置かれます。
本質は、役割分担にある
この記事は、家事労働を貶めるものではありません。
金銭を得る仕事と比較すれば、家事労働が下に見られるのは当たり前。避けられないものである以上、それを前提に考え、整理をすべきです。本質は、役割分担にあります。
両輪が回って、生活が成立する
収入を得る仕事も、家事労働も、生活する上では必要不可欠です。どちらが欠けても、生活は成立しません。その意味で両者は、平等です。
難易度と負担の低さはあっても、家事労働の重要度の高さは自明です。その役割は、決して軽んじられるものではないはずです。
収入を得る仕事の価値を、家事労働者に分ける考え方
こうして整理すると、家事労働の姿が明確に浮かび上がってきます。難易度と負担が軽い反面、重要度は極めて高い。軽視されるのと同時に、重要視もされる奇妙なバランスの上に、家事労働の社会的な位置づけがあります。
収入を得る仕事と家事労働との関係性は、表舞台と裏方です。映画にしても舞台劇にしても、裏方の仕事がなければ成立しません。金銭という目に見える成果の出る仕事は、派手な表舞台です。日々の生活を維持させる家事は、地味な裏方です。
表舞台でその人が活躍できるのは、裏方の仕事があってこそです。ですから表舞台の仕事で得られた収入という成果は、家事を行う裏方の手柄でもあります。また逆に、裏方が表舞台の仕事までせずに済んでいるのは、その場で活躍してくれる存在あってこそです。
このように収入を得る仕事と家事労働とは、ユニットとして生活をしていくという、共有された目的を果たす表裏一体の存在です。どちらが上か下かではなく、適材適所をもって全体として機能させるべきものです。
つまり収入を得られるのも、家事によって生活が成立するのも、それぞれがバラバラに成し得た成果ではなく、協同によって得られた二人の成果です。
これは片方が専業で家事を担っていようと、共働きで家事を分担してあっても、話の本質は同じです。どのように配分しようとも、結果として全体で機能している事が重要であって、仕事の内容に優劣は存在しません。
まとめ
収入を得る仕事に比べて、家事労働が下に見られるのは仕方がない。しかし家事は健全な生活を担う、重要な役割である。
その本質は役割分担にあり、収入を得る仕事も、家事労働も、全体として『生活をしていく』目的に沿ったもの。
自分が全てをやらなくて済むのは、役割を分担してくれる人がいる為である。だから収入を得るのも、家事で健全な生活が出来るのも、共に得た成果である。そこに上下はない。
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