「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。愛は感情ではなく、一体感をもった関係性を表す言葉です。求める愛は、中身を抜きにして、愛の表面上の形だけを模倣する虚しいものです。
愛とは何か、愛で結ばれた関係はどのようなものか、をお伝えします。
求める愛、与える愛
愛とは何か? 恋と愛との違い
愛とは、厳密に言えば関係性を示す言葉です。コミュニケーションを取っている内に、一体感を覚えるようになり、価値ある大切なものになっている。この関係性を、僕たちは“愛”と呼んでいます。
よく恋と愛との違いが話題になりますが、両者はまったく異なります。恋は、恋愛対象として惹かれている状態です。一切のコミュニケーションもなく、一目見ただけでも成立し得ます。そうやって惹かれ合って、コミュニケーションを取っている内に芽生えてくるのが、愛情です。
恋は、永遠には続きません。他人同士をカップリングするために、脳内ホルモンを分泌して酔わされているのが恋です。僕も妻と出会った当初、恋焦がれて本も読めない程にさせられました。こんな状態が長く続いたら、人生に関わります。用が済んだなら、引っ込んでもらわなければ困ります。
恋愛にしても、結婚にしても、脳内ホルモンの分泌が止まった時、愛情が芽生えていなければ関係は終わります。そこにいるのは、好きでも何でもない、ただの他人です。
求める愛に走る心理
こうして欲しい、ああして欲しい、という欲求を過剰に求めるのが、「求める愛」です。この心理に至る事情は各々ですが、共通点は、愛されている実感が欲しい、大切にされている実感が欲しい、という飢えです。
自己重要感を満たしたい、愛されている自信がない、などの背景が、そこにはあります。飢えからくる言動ですから、冷静さに欠けるのは避けられません。過剰な束縛、常識を逸脱したマイルールの強制を始め、実はモラハラやDVもこれに該当するケースがあります。
求める愛は、愛ではない
しかし愛の本質は、相手との同一性です。一体感をもって、精神的な部分も含めて利害が一致した姿です。
求める愛は、ただその形を部分的に模倣しているに過ぎません。言葉や行動を強制して、愛を演じさせているのです。逆に言えば、愛で結ばれた関係性がないから、演じさせてまで執着しなければなりません。
例えば、深夜に電話をかけて愚痴を聞かせて、徹夜をさせる。それに付き合わなければ、自分を愛していないと見做す。といった行動です。激しく動転している状況であれば、仕方ない場合もあります。しかしこのような行動が頻繁に続けば、明らかに話は違います。
愛しているなら、自分のために無理もしてくれる。それを、当然の権利のように行使しています。確かに愛は同一性ですから、辛い時には助けるものです。無理をするのも、当たり前です。
しかし本来の愛は、互いに大切にし合う関係です。一方的に相手に負担を強いるのであれば、大切にしているのは自分だけです。求める愛が、真実の愛である道理がありません。
与える愛こそが、本物である理由
相手を喜ばせたい、役に立ちたい、真実の愛は、貰うよりも与える方に関心が強くなります。それに対して、見返りは求めません。感情を含めた利害が一致しているので、そこに貸し借りは発生しないからです。
よく「無償の愛」という表現がありますが、愛はそもそも無償です。自分が自分のために何かをして、見返りが発生しないのと同じです。
しかし見返りを求めないとは言っても、不公平に対しては不満も出ます。困った時に助けたからと言って、愛は見返りを求めません。これが誕生日を片側しか祝わないとなれば、不公平感が出ます。この違いは、解っておいてください。
求めてはいけないのか?
ここで当然、「相手に求めてはいけないのか?」という疑問があります。勿論、公平な役割分担は求めて良いものです。飢えによって求めるのではなく、関係性に甘えるのも構いません。
同一に思える感覚が深まっていけば、良くも悪くも遠慮が無くなっていきます。自分の手足に近い感覚で、互いに相手を使い合うようになります。ただそれは、相手の過度な負担と引き換えにはしません。あまりに大変であれば、その大変さも自分のことのように感じて気が引けるからです。
遠慮はなくなるけれど、無理をさせようとは思わない。これが、純粋な愛情で結ばれた先の心境です。ただ何をどれくらい苦痛に感じるのかは、人それぞれです。その推定を見誤ると、相手に過度な負担をかける結果にもなります。
良かれと思っていることでも、同じです。相手からすれば、有難迷惑になっているかもしれません。
こうしたすれ違いが続き、もしも「自分は大切にされていない、愛されてない」と感じるようになれば、関係性にもヒビが入ります。何を喜び、何を嫌がるのか、それを互いに細かく把握し合っておくのは、愛を深めるには必須です。
重要なのは、求めるのではなく、素直な気持ちを伝えることです。大切に思い合うなら、互いの形にフィットさせた生活習慣、家庭文化などが構築されていきます。
現実にはノイズが入る
愛の要素だけを抽出して、ここまでお話をしてきました。しかし現実の人間、生活には、ノイズが入ります。
ジェンダーの固定観念、心に傷を負って正気を失うポイント、その時々の精神状態、などで愛とは逆行するような言動はあって当然です。どんな人でも、どこかに歪みがあります。その歪みを、歪みのまま許容する懐の深さも、実は愛の役割です。
まとめ
利己的な愛は、存在しません。愛があるなら、一方的に相手に負担を強いるはずはないからです。
遠慮なく使い合いながら、与え合おうとする。これが、愛で結ばれた関係性の姿です。ただそこには、ノイズも入ります。コミュニケーションを取って理解を深め合いながら、ある程度の歪みは許容する姿勢も重要です。
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