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軽やかに♪ 心クリック

人間関係

正義感が強すぎる人。一般常識との感覚のズレを、どう調整するべき?

投稿日:2020年4月22日 更新日:

「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。もしも個人的な正義感が、一般社会のそれと完全に合致していたなら、生きていて楽です。

 そこに不一致がある程、苦痛が多くなります。世間と異なる基準で正義感の強すぎる人は、ただ生活しているだけで辛いのです。

 こうした一般常識との感覚のズレは、どう扱えば良いのでしょうか? 誰もが大なり小なり、抱えているテーマです。

 

正義とは、正義感とは何か?

「正義」と「善」との違い

 正義、善、それぞれを辞書で引けば、意味はほとんど同じです。しかし現実での言葉の使われ方を見ると、二つの言葉には違いがあります。

 善は、正しさの存在を指します。一方の正義には、社会を正そうとする意志が含まれます。ですから、正義の味方と言えば、悪を挫くヒーローを思い浮かべます。慣用句にはなっていませんが、あえて善の味方と表現すると、正義の味方のような積極性はイメージされません。相談に乗ってくれたり、ゴミ拾いをしていたり、といった感じでしょうか。

 このように正義を善と比べてみると、正義という概念には、多分に悪への攻撃性が含まれると浮かび上がってきます。

善は、生存(存在)、改善、を根拠にする

 善とは正しさそのもの、正義は善を成そうとする意志です。それでは、そもそも善はどこから来るのでしょうか? 正しいとされているものの共通項から、その根拠が導き出されます。大きく分けて、

・生存(存在)
・改善

 の2点に集約されます。

 自然災害で、レスキュー隊が人命救助をした。自動車メーカーが、エアバックを開発して事故での死亡率を下げた。製薬会社が新薬を開発して、死に至る病を治療可能にした。外交努力によって、戦争が回避された。など、命が救われる事柄は、疑いようもなく善です。生存そのものが、善と見なされている証です。

 人命だけではなく、動物の命であっても同じです。保健所の殺処分が減る。絶滅危惧種の数が増える。といった事柄に、善ではないと異を唱える人は極めて稀です。また文化財や芸術作品、個人的な思い出の品、などが失われずに済むのも、やはり善です。

 この場合の改善は、「過去、今よりも良くなる」に加えて、「悪化せずに済む」、「悪化の程度を抑えられる」を含みます。勉強して成績が良くなる。GDPが成長する。社会幸福度が上がる。食生活や運動で、老化の速度を抑える。といったものは、広く善と見なされています。

 世の中にある善は、必ず生存(存在)か改善の何れか、あるいは両方を根拠にしています。

善悪の感覚には、強い排他性がある

 善と悪とは、相対的なものです。生存(存在)と改善と真逆のものが、そのまま悪の根拠になります。命を失わせる、破壊、劣化といったものを、人は悪と位置付けています。

 そして悪と位置付けられたものは、決して肯定的には受け取られません。悪は悪という段階で、否定され、拒絶されます。善悪の感覚には、強い排他性があるのです。

全ての善は、同時に満たされない

 善の根拠である生存(存在)、改善ですが、全ての善を同時には満たせません。例えば尊厳死、死刑制度、中絶の是非などについての議論は、延々と結論がつかないままです。

 日本では、よほどの凶悪犯でない限り、死刑判決は下りません。その事もあって、約8割が支持、もしくは容認という形で死刑制度に反対はしていません。死刑制度に反対する人は、冤罪の可能性を除けば、人に人を殺す権利はない。どんな形であれ、認められる殺人はあってはならない。と、主張します。

 確かに、全ての人命には価値があるとする立場からは、死刑制度への反対は善です。一方、それを支持する人の多くは、被害者遺族の感情を思いやっています。加害者が、塀の中でとは言え、のうのうと税金で生かされている現実は、あまりに不公平であろう。命を奪ったのだから、罪は等しく命で償わせるべきだ。……というものです。

 死刑制度によって、被害者遺族の感情が少しでも晴れるのであれば、それは改善に当たる善でしょう。このように、賛成派と反対派は、それぞれが善を主張して対立しています。

 このような国際社会を巻き込むような大事でなくとも、善と善との対立は、身近なところに溢れかえっています。

 厳しく躾けるのか、ノビノビと育てるかの教育方針の対立。遊びに行くのに、特定の誰かの参加を許すか拒絶するかの対立。コロナウイルス問題で、卒業式を行うか否かの対立。など、互いに真っ当な言い分があります。

強すぎる正義感は、対立する善を悪と見なす

 穏健な正義感の持ち主であれば、対立する側の意見にも一理を認めます。例えばコロナウイルスで卒業式を行うか否かでは、互いに相手の言い分も理解し合えたでしょう。ウイルス感染の脅威をどれ程に見込んでいるのか、卒業式にどれ程の価値を置いているのかで、意見も変わってきます。

 例えば僕であれば、卒業式というものに大した意味があるとは感じていないので、危険があるなら中止すれば良いくらいにしか考えません。しかし卒業式で泣いている人、良い思い出にしている人の存在は知っているので、何とか実行したいという気持ちは理解できます。

 ただ人によって、感覚は違います。コロナではなくても、大切な人を何かの病気で亡くしたばかりといった事情がある個人であれば、感染リスクをより脅威に感じているでしょう。この期に及んで、卒業式をやりたいなどと言う人間は、物事の道理を知らないバカにしか思えないかもしれません。悪意はなくとも、過ぎた馬鹿は悪と見なされ得ます。

 対立する善を悪と見なした瞬間、それは主観的に攻撃しても構わない対象、むしろ攻撃すべき対象に変わります。

 

 

 

 

一般常識とズレた正義感を、どう調整すべきか?

一般常識からズレた、強い正義感

 ここで大きく問題になるのは、「もしも自分が、一般常識からズレた強い正義感を持ってしまったら?」です。

 典型例として挙げられるのは、

・過激なフェミニスト(ツイフェミ、ミサンドリスト)
・過激なヴィーガン

 辺りでしょうか。自称フェミニストの多くは、男女差別や性犯罪の被害者です。ですからその思想の大元には、怒りや憎悪があって普通です。それが理性を狂わせた結果、男性という属性自体を嫌悪、攻撃するに至ります。フェミニズムという大義名分を振りかざして、私怨を晴らそうとしている訳です。

 動物愛護の立場からヴィーガンになっている人は、肉を食べる習慣、革製品、毛皮などの存在を、悪と見なしています。海外では肉屋が襲撃されるなど、活動の過激化が社会問題になっている程です。

 僕の個人的な経験ですと、ラー油を使った、入院中に貰ったお守りを所持していた、という理由で怒られた出来事が、印象に深いです。それを怒った人にとって、ラー油の使用、お守りの所持は悪であり、許容できないもので、正義感が許さなかったのでしょう。

 一般常識の範囲は、通常であれば誰からも批判を受けたり、嫌われたリしない安全地帯です。安全地帯ですから、いちいち確認もしません。そこを攻撃するなら、一般社会との軋轢は免れません。

多くの観点から善を検証する

 ただそうした個人的な正義感は、特段に珍しい存在でもありません。逆に全ての項目で、社会一般の常識の範囲内に収まり切っている人など、そうはいないでしょう。元来の性格、個人的な経験、家庭環境などによって、どこかでは違った突出した価値観や感覚を持っているものです。

 自分にとって、自分の価値観や感覚は当たり前です。感覚的に、それに反するものは、異様な間違ったものにしか思えません。

 しかし実は、自分の方が盲目になっているケースがあります。他人には、他人の正当性があります。そこにどのような善(生存(存在)、改善)があるのか、一通りの検証をしてみましょう。

 自分が焦点を当てていなかった善があったならば、見方も変わります。ただ焦点を当てるだけでも気付けることは多いですが、ずばり尋ねた方が良い時もあります。

 否定して攻撃したくなったら、その前にどのような正しさがあるのかを知ろうとしてください。

社会で共有される正義は、投票で決まる

 例えば僕であれば、実は例に挙げたヴィーガン寄りの価値観を持っています。生きるために必要と言うなら弱肉強食で正当性があると考えますが、食道楽、ファッション、化粧品などで動物が犠牲になることを、完全に否定しています。テレビ番組で肉の大食いをしている姿には、嫌悪感しかありません。

 しかしその価値観と感覚が、一般常識からはズレているとも自覚しています。これを言うと、「感謝して食べれば良い」といった意見をよく貰うのですが、食道楽で命を奪う行為が、薄っぺらい感謝ごときで埋め合わせられるとは思えません。わずかに芽生えた罪悪感への免罪符に感謝を持ってきているだけと透けて見えるので、余計に腹立たしくなります。

 といった心境なのですが、これは焦点を当てて違う観点の善を検証したところで、どうにもなりません。考えれば考えるほど、自分が正しいとしか思えません。

 しかし社会的に何が正しいのかは、漠然とした多数決によって定まります。いくら自分が強く思おうと、劣勢側の1票に過ぎないのです。

攻撃すれば、相手も攻撃的になる

 例に挙げたフェミニストにしても、ヴィーガンにしても、既にアンチが定着しています。批判して攻撃をした結果、自らも批判対象にされてしまったのです。

 不当な攻撃であると判定されれば、それは悪です。正義であったはずのものが、逆に悪として攻撃されます。互いに自らを正義、相手を悪とし、戦争が勃発しています。

 個人個人の日常でも、やたらと他人に批判的な人は、やがては疎まれて排斥対象になります。いくら主観的には正義であっても、それをもって他人を攻撃したなら、基準の異なる者たちからは悪と見なされると知ってください。

あらゆるジャンルでの意識の高い人達が、覇権を求めればどうなる?

 ここで少しだけ、思考実験です。

 世の中には、あらゆるジャンルで意識の高い人達がいます。例えば電車の中の飲食を例にすると、どこからNGになるのか、意見が分かれます。匂いの強い弁当は、ほとんどの人がNGとするでしょう。おにぎりは、具にも拠りますが意見が分かれます。パンであれば、やはり種類に拠りますが、OKとする人が増えてくるでしょう。ガムは、おそらくOKの人が多数を占めます。

 といった中にあって、極めて少数派ではありますが、ペットボトルのお茶や水でさえもNGを出す人たちがいます。根拠はよく解りませんが、おそらくは電車内での飲食はNGという規範があり、単純にそこに該当するからでしょう。

 と、このように極めて意識の高い人の基準は、一般常識の範囲を超えて厳しくなります。自分が絶対君主であるなら、自分好みの社会を作ることも可能でしょう。しかし現実には多数の平等な一市民に過ぎず、特権階級ではありません。

 自分が持つ特別に厳しい基準を適用するのであれば、他の人の異なるジャンルのそれも、採用されなければなりません。髪を染めてはいけない、歩きながらの飲食は禁止、外食時のマナーは徹底、言葉使いでスラングは厳禁、間違った日本語は使ってはいけない、性的なものは水着程度であっても商品にしてはいけない……といった世界を許容しなければいけません。

 そんな窮屈な社会ではなく、自由に振る舞って良いのは、極めて意識の高い人達がスルーしてくれているお陰です。そうやって自分も利益を受けている手前、自分も他人をスルーするのは、道理に適った考え方です。

自分の意見を主張する権利は、誰にでもある

 但し、少数派の正義は黙っていろという話ではありません。自分の意見を主張する権利は、誰にでもあります。主張し続ければ、共感する人が増えて、社会が変わっていく可能性もあります。

 対立する価値観の人間を打倒するのではなく、選挙演説で票を増やすイメージを持ってください。結局この戦いは、多数派を取れるか否かが本質なのですから。

 

 

 

まとめ

 正義とは、社会を正しく変えようとする意志です。正義感の強い人間は、それだけ社会を変える意識が強く、悪と認定した対象への攻撃性が強くなります。それが社会的な総意と一致した基準であれば、攻撃手段が過剰にならない範囲で、軋轢は生まれません。

 しかし一般常識から外れた正義感は、その攻撃性を発揮すれば社会が乱れます。逆に自分の側が悪と見なされ、泥沼の争いにもなりがちです。

 一般常識から外れた正義感を持っている人は、まずは自らの正当性に慎重でありましょう。異なる価値観と感性の正当性に焦点を当てて、検証をします。

 その上で譲れない正義感なら、選挙演説のイメージで主張をしましょう。対立する悪と戦ったところで、罵倒をすれば留飲は下がるでしょうが、意味はありません。勝利条件は、多数派の確保にあるのですから。

 

 

 

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