「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。自分が悪いのでは? 間違っているのでは? と、過剰に自分を責める人がいます。酷くすれば、精神を病ませるほど、深刻な問題になります。
個別の事情はそれぞれあるものの、そこには精神文化の土壌が大きく関わっています。日本人は和を重んじ、謙虚さを美徳としています。
この扱いにエラーを起こした一つの行き先に、自縄自縛になるメンタリティーがあります。自分を過剰に責めてしまう人は、どうすれば楽に生きられるのでしょうか?
なぜ、自分を責める癖は作られるのか?
和を重んじる精神文化
日本社会では、謙虚さを美徳としています。強い自己主張をせず、他人と上手く協調する姿勢を善しとします。他人が何を考え、感じているのかを察して、気を利かせて丁寧に先回りする人付き合いが推奨されます。
こうした見えないルールを機能させるには、自己主張の強い人は邪魔です。ですから何かでトラブルが起こった時も、常識的な人間同士であれば、互いに相手を責め立てません。自分の側の落ち度を反省し合って、物事は丸く収められます。
人間と人間との対立を極端に回避し、相手を攻撃しない文化は、世界でもかなり珍しいそうです。所謂、和を重んじる精神文化です。
子供の頃、謙虚さの英才教育を受ける
小学生の頃に受けた教育を、思い出してみてください。親、教師の人間性、地域などによって差異はあるでしょうが、おおよそ同様の経験を持っているでしょう。
子供同士での喧嘩、トラブルはしょっちゅうです。そこで大人が仲裁に入って、問題の解決に当たります。その時、こんな言葉があったのではないでしょうか?
「A君のしてしまった事は、確かに良くない。しかし君にも、A君をそうさせてしまった原因があるんじゃないかな?」
みたいなヤツです。とにかく一方的な悪者を作らず、喧嘩両成敗に持っていこうとします。他人の悪さを主張するな。自分の非を見つけて、互いに反省しろ。という、強い圧力がかかります。
他人を罰しない、自分の非を見つけて反省する。謙虚な人間性が推奨され、その枠組み以外での言動は通用しません。謙虚さの、英才教育です。
未消化の「自分が悪い」
和を重んじる精神文化では、基本的に互いに相手を立てます。ですからトラブルが起こった際には、相手の非を責めるのではなく、互いに自らの非を反省し合って収めるのが基本路線です。
9:1、7:3など、感覚的な非の割合があり、認識に不一致があったとしても、この方法であれば収まります。場合によっては、10:0で相手の方が一方的に悪いこともあります。それでも相手を責めず、自分の非を何とか見つけて謝罪している姿でさえも、決して珍しくはありません。
じゃあ実際に、本当に互いに自分が一方的に悪いと思っているかと言えば、とんでもありません。内心では相手側に非があれば、きちんと勘定されています。しかし相手も10:0で謝ってきているので、それでチャラにされているという訳です。
ただ小学生や中学生を相手に、そういう教え方はしません。道徳的なものにフワッと包んで、謙虚さの美徳、思いやりの心、といった形で伝えられます。
すると中には、「自分だけが一方的に悪いんだ」と過剰に自分を責めてしまう人も現れます。誰もがその本質に気付き、「自分が悪い」を消化できる訳ではないのです。
以降、その呪縛から逃れない限り、非の割合を過剰に自分に振り分け続けます。罪悪感、自責の念に捕らわれ、苦しめられます。
「自分を、悪人として罰しなさい。さもなくば、あなたは悪人です」
と、洗脳されているのと同じです。
自分を責めない考え方
本音は分けても良い
自分だけが悪くて、相手は悪くない。素直な人間性であるが故に、このような枠組みで物を考えようとします。
コミュニケーション上、便宜上の話であって、本音とは違うものだと解っていません。本音では、互いに相手の非も勘定している。しかしコミュニケーションでは自分だけに非があるように振る舞い、許し合って収束させる。
という、人間関係を円滑にする作法のようなものだと、知っておいてください。互いに本音が別にあると承知しながら、自分だけが悪いと言い合う儀式なのです。
相手も自ら反省してくれる
ある程度の常識人であれば、謝罪には謝罪を返してきます。本来は7:3くらいで相手が7悪くても、10で謝られてしまうと3程が過剰になります。この過剰分が気になって、自分も謝ってバランスを取らなければ居心地が悪くなります。
多くの場合、相手の非は、相手が自分で見つけます。それが何なのか、どれくらいの比率なのかは、相手の価値観が決めることです。こちらは10:0で謝っておいて、後は丸投げして任せましょう。
その中身は、価値観と感覚の違う人間同士なのですから、完全に一致はしません。え、そこを悪いと思っていないの!? という部分もあれば、そこでそんなに責任を感じなくても…… という部分もあります。
自分とは違う主観を想定しながら、社会での唯一の正解を探しながら、自分の悪さ加減を考え過ぎるのは時間の無駄です。相手に、自分と感覚を合わせろと要求するのも、同様です。
ですから自分の価値観、感覚に自信を持って、それだけの基準でシンプルに非を査定しましょう。絶対的な答えなど、最初から存在しません。
まとめ
自分を過剰に責めてしまう人の多くは、受けてきた謙虚さの教育の中で、溺れて自分を見失っています。
相手を責めずに自らの非を反省するのは、イコールで「自分が100%、悪い」ではありません。双方に非はあっても、互いに相手を責めず、立て合いながら問題を収束させる約束事です。
お互いに譲り合ってバランスを取るのを前提にして、本音は分けて良いのだと承知しておいてください。
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