「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。大切な存在を、自殺で失いたくない。そう思うなら、「死ねるもんなら、死んでみろ!」、「どうせ、死ぬ勇気もないくせに」といった言葉は、絶対に口にしてはいけません。
怒りで勢いづいて、死のハードルを超えられてしまいます。今回の記事では、なぜこのような言葉が禁句となるのかを、詳しくご説明します。
タップ、クリックできる【目次】
自殺のリスクが高まる3つの精神状態
人は、どういう時に自殺に至るのか? その精神状態を詳しく知っておくのは、周囲で支える人にとって、決して無駄にはなりません。
一般的に広まっているノウハウもありますが、基礎を知っているのといないのとでは、同じノウハウを参考にするでも雲泥の差です。
自殺リスクが極端に高まる、3つの精神状態があります。その領域を回避する、行ってしまったなら、いち早く抜け出すことです。
辛すぎて、心が感じるのを止める
思考、感情、意識の全てをぼやかせて、苦痛を軽減させています。ここでは自殺する元気もないので、その意味で危険性は薄いです。むしろ少し状態が上がって、次にご説明する「強い嘆きと悲しみ」の方が危険です。
ただ積極的に死のうとしない反面、死への恐怖も薄く、家族を悲しませるなどの死なない理由も、よく判らなくなります。
死のうとする積極的な意志はありませんが、ホームに入ってくる電車、高速で通り過ぎる車などを見ると、スーッと吸い込まれるように飛び込んでしまいます。高所に立てば、やはり吸い込まれるように飛び降りてしまいます。
強い意欲はなくても、簡単に死ねる状況と居合わせれば、ぼやけている分だけ実行のハードルが下がっています。
自殺のリスクが高まる精神状態というテーマでお話をする際、以前はこの領域には触れていませんでした。意欲という観点ではなく、現実に実行されるリスクを考えれば、こちらもお伝えすべきと見直されています。
強い嘆きと悲しみ
「辛すぎて、心が感じるのを止める」は、感情エネルギーとしては弱い領域でした。
こちらは感情エネルギーとして、強い領域です。絶望して激しく嘆き悲しんでいる中、その勢いで自殺へのモチベーションが上がります。死んで、辛さから逃れたいと望むようになります。
思考も出来ますが、あらゆるものを悲観的に捉えます。考えれば考えるほど、死ぬ理由が増えていきます。
怒り
怒りも当然、感情エネルギーの強い領域です。ただ「強い嘆きと悲しみ」とは、死のうとする動機が異なります。怒りは、破壊、攻撃の衝動です。攻撃手段として、自殺を選ぶということです。
遺書に、された事と名前を書いて残し、社会的制裁を意図する。あるいは、罪悪感で苦しませようとする。政治活動の抗議で、公衆の面前での焼身自殺。といったものが、怒りを動機にしたものの典型例です。
「死ねるもんなら、死んでみろ!」が禁句なのは、このパターンがあるからです。
「死ねるもんなら、死んでみろ!」は、絶対にダメ!
攻撃の手段として、自殺を選択される
自分を苦しめた直接的な加害者ではなくても、家族、友人、知人といった立場の人たちが、攻撃対象にされるケースがあります。
特に、自分の苦痛への無理解や軽視は、憎悪と怒りの対象にされます。
解って欲しい → 解ってくれない → 嫌い、憎い
という構図の展開に、あなたも自分のことか、他人のことか、覚えがあるでしょう。
深く落ち込んでいる時、自殺をほのめかしている時、周囲の人間は、説得する形で励ますものです。何とか、自分は不幸ではないと思ってもらおう、ポジティブになってもらおう、と考え方を変えようとします。
それが当事者からすれば、自分の人格を否定されているのと同じ意味になります。要は、「お前の考え方は間違っている」と、否定されているのですから。必死に説得すればする程、温度差は拡がっていきます。
温度差が拡がるほど、「自分を解ってくれていない」、「解ろうともしない」、と分離感が強まります。
有りのままの自分を受け入れてくれない苦痛、それまでの人生の中での不満や恨み、などが重なって、強い怒りへと転じます。
自分のことを大切に思っていると解り切っているからこそ、自殺が攻撃手段として採用され得ます。「死んで、どれ程、苦しかったか解らせてやる」、「死んで、後悔させてやる」と勢いづき、実行に至ります。
「普段から、死にたいと言っている人ほど、実際には死なない」は間違い
「普段から、死にたいと言っている人ほど、実際には死なない」は、まことしやかに定説化しています。
確かに、死にたいと言っている人が、何年も生き続けている例は珍しくありません。しかし、では実際に死んでしまった人はどうかと言うと、実は周囲の人に「死にたい」という気持ちを漏らしている場合が多いのです。
定説化した言葉は、不思議な説得力を帯びます。大切な人を失いたくないという気持ちもあり、信じたい誘惑にも駆られます。安易に受け入れて、「死にたい」という言葉を軽く見ないでください。
「死にたい」、「死ぬ」発言に慣れてしまう
何度も何度も「死にたい」、「死ぬ」と聞かされている内に、周囲も慣れてきて、動揺も減っていきます。また、結局は死ななかったという結果を繰り返している内に、今度もどうせ死なないだろうと、高を括るようになります。
以前は怖くて出来なかった喧嘩も、次第に踏み込めるようになります。そこで相手は、「死んでやる!」と、自分の死で脅迫してきます。精神的な余裕が生まれてくるのと、ウンザリさせられるのとが相まって、つい出てくる台詞が、
「死ねるもんなら、死んでみろ!」
です。この言葉は、自殺のリスクが高まる精神状態の「怒り」を炊き付けます。
台詞は、「どうせ死ねないくせに!」かもしれないし、「勝手にしろ!」かもしれません。とにかく、怒りのエネルギーが勢いづき、この瞬間から自殺リスクが各段に高まってしまうのです。
どんなに怒り心頭になっても、この類の言葉を絶対に口にしないと、強く自分を戒めてください。
こちらに、この展開で妻を亡くされた夫のブログ記事が残されています。気軽に読めるものではないので、ご興味のある方は、覚悟を決めて閲覧ください。
→ http://blog.livedoor.jp/commitsuicide/archives/51596177.html
「死んで欲しくない!」は、死なない理由になる
自殺を実行できずにいる人には、死なない理由もあります。
自殺の意欲 < 死なない理由
である限りは、行動には移しません。(但し、100%の確率では死なない、運が向けば死ねる何かを画策されるケースはあります)
よほど強く勢いづくか、逆に精神活動が停滞するかでない限り、誰でも死は怖いです。自殺を決意して実行に移す段になって、想定をはるかに超える死への恐怖が湧き上がり、断念したという話も、よく聞きます。また死の課程での苦痛も、やはり恐怖です。
これだけでも、大多数の自殺は防いでいます。通常、最大の死なない理由は、死とそれに伴う苦痛への恐怖です。
しかしこれを乗り越えてしまうケースもあるので、「死なない理由」を増やしておきます。自殺を思い留まっている人の話を聞くと、やはり家族や友達を苦しませる、悲しませることは、大きな歯止めになっています。
細かなノウハウ以前に、家族として、友人として、恋人として、「自分にとって、大切な存在だ」、「死んで欲しくない!」という気持ちを、繰り返し、繰り返し、伝えておきましょう。
そして普段から、きちんと大切な存在として接していましょう。
まとめ
怒りは、自殺のリスクが高まる感情です。死ねないことを嘲るような言葉は、怒りを炊き付け、勢いづかせてしまいます。どうせ死なないだろう……と、高を括り始めたなら、要注意です。
少しでも自殺リスクを下げるために、「大切な存在だ」、「死んで欲しくない」という気持ちを、しっかりと伝えておきましょう。
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