「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。社会には、生き方の型があります。その型は有難いものではありますが、無駄に人を縛る性質もあります。自分という個性の中で、最大限に快適に幸せに生きるには、型との付き合い方が重要です。
僕自身の体験もお話して、型との付き合い方をお伝えします。
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明るく派手な若者らしさに、はまらなかった自分
パリピに憧れてみたけれど、キャラじゃないと悟る
まずは自分語りをします。正直、公開するのは恥ずかしい内容です。大したものでは、ないですけどね。
僕は高校生の頃、バブル全盛期を経験しています。社会は享楽主義に流れていて、楽しさと刺激を求める意識が高まっていました。真面目に実直にを善しとされてきた反動、好景気に浮かれる勢いで、一気に軽薄な楽しさが見直されていた時代です。
その方面で楽しそうにしている様子を見ている内に、「自分にも、ああなる素養があるのだろうか? ああなったら、楽しいのだろうか?」という思いも出てきます。
まだ高校生ですから、自分の顔にも様々なものを想定しています。大人しかった人が、大学に入ってはっちゃけて、別人のようになってしまった! という事例も珍しくはありません。そこまで変わらなくても、自分にも変わる余地があるのでは? 可能性を感じていたのです。
しかし大学生になって、自分は自分だと気付かされます。そういう賑やかな人種、今で言うパリピとは、完全にノリが違います。そのような飲み会やイベントに混ざっても、完全に浮きます。馴染もうかなって思って、ちょっと言動を寄せてみても、「何、こいつ?」という目で見られます。思いっきり、不自然だったのでしょう。
という訳で、パリピは楽しそうで良いなあという憧れはあったものの、自分はキャラじゃないと悟るのでした。とりあえず、何が楽しいのか、さっぱり理解できないで終わります。
結局、一人で考えているのが好き
僕は小学生の頃から、一人で考えているのが好きでした。あるテーマに焦点を当てて考えて、理解できた瞬間が快感でした。暗闇が一気に晴れて、未知の景色が広がっていくのが楽しくて仕方がなかったのです。
すると、新しく解らないテーマが見つかります。知らないことすら知らなかったものが、次の研究テーマになります。そこを開けば、新しい土台で次のミッションに挑みます。そうやって一人で、遊んでいたのです。
僕としては、こちらの方がよほど楽しい。知らない世界を覗いてはみたけれど、自分には合わないと確認しただけに終わりました。勿論、この確認は無駄ではありません。とりあえず一度は、何でも試してみた方が良いです。
まあただ、父親はそんな僕を気に入らなかったと思います。だって外から見たら、覇気がなく、ただぼーっとしている風にしか見えません。
静かに過ごしている方が心地よい
賑やかな、「ウェーイ!」という世界も垣間見て、僕は自分にとっての幸せを悟ります。大人しく、静かに過ごしている方が、圧倒的に心地よい。
という事は、友達という存在も重要ではありません。他人とコミュニケーションを取って、遊んでという部分で幸福を感じる人からすれば、友達のいる/いないは死活問題です。しかし僕のような人間にとっては、いてもいなくても、どちらでも良いものです。
ですから積極的に友達を作ろうとはしないし、かと言って友達がいちゃ困るわけでもないので、作らないと決めているわけでもありません。
自分に合わないものを、無理に採用しても負担になるだけです。
人生、生き方の型と、どう付き合うのか?
人生と生き方には型がある
空手などの武道に型があるように、どう生きるのかにも型があります。
・大学生は、友達をたくさん作って、楽しく過ごす。
・出来るだけ良い学歴をつけて、有利に就職する。
・ある程度の年齢になったら、実家を出て一人暮らしをする。
・結婚したら、共働きで家事は分担する。
こうしたものは、全て決められた型です。先人たちが実践をして、これは良いと評価されたものが、モデルケースとして社会で機能している姿です。
型にも強弱などの性質があって、一つの選択肢として提唱されているだけのもの、外れれば悪としてバッシングされるもの、様々です。
ですから型には、功罪があります。自分自身の考えと経験で一から構築していくよりも、型をそのまま採用する方が効率が良いです。これが、功です。空手の突きや蹴りにしても、すでにこうしたら威力がある、見栄えがする、と決まっているものを取り入れた方が話が早いですよね。
罪の方は、型の拘束力です。中学を卒業して、手に職をつけて働くというのは、一つの可能性です。しかし何故か、世間は「高校くらいは出ておかないといけない」と、型の中に押し込めようとします。型の存在は、型から外れる生き方を不自由にさせます。
嫌なことを減らす
誰が何と言おうと、嫌なものは嫌です。幸福のためには、如何に嫌な思いを減らすかが重要になります。
通勤時間が苦痛であれば、自分の家でできる仕事にする。人と関わるのが疲れるのであれば、飲み会には出ない。子供のいる生活に耐えられないのであれば、子供を望む相手とは結婚しない。ママ友との付き合いが面倒くさいなら、関わらない。
このように、自分の人生、生活から嫌なことを無くしていきます。
しかし社会(親や身内も含めて)は、何らかの型を強く推奨してきます。それは他人が上手く行ったモデルケースであって、必ずしも自分にとっても良いものとは限りません。少しくらいは試してみるのも良いですが、合わないと感じたら、思い切って放棄しましょう。
心地よいものを増やす
その一方で、心地よいものを増やしていきます。
サーフィンが好きで好きで溜まらないなら、出来るだけサーフィンを楽しめるように仕事も選びます。何でしたら、サーフィンスポットに引っ越すのも有りです。
食べるのが好きなグルメ志向なら、エンゲル係数を極限まで上げるのも良いです。
おじさんがピンクのセーラー服を着て外に出たいなら、好奇の目は覚悟で好きにしたら良いです。(実際に、博多駅で見ました)
こうした好きなものへの態度にも、常識という型があります。常識の範囲で十分に満足であれば、それで良いのですが、もしも振り切ったところに更なる幸福があるなら、より自分用にカスタマイズできる余地が残されています。
生活を成立させる
嫌なものを減らして、心地よいものを増やしていけば、日々の生活の快適さと幸福度は上がっていきます。しかし生活が出来なければ、元も子もありません。
仕事、一緒に暮らす家族との兼ね合いで、適切な落しどころがあります。
型を敵視しない
自由になろうとするあまり、型を敵視してはいけません。自由な生き方にとって、型は無視するものであって、わざわざ壊すものではないのです。自由なのですから、型を採用する自由だってあります。
型を敵視して壊そうとするなら、それはまた一つの拘束された姿でしかありません。自分を特別だと思いたくて、型を破ること自体が目的になっている人を見ると、「いやいや、型通りの人生だって、捨てたもんじゃないよ?」と思ってしまいます。
まとめ
色々と難しく書いたかもしれませんが、要は「型を気にせず、自分の良いように好きに生きろ」です。
社会に対して迷惑をかけるのでなければ、一切の型は無視をして良いものです。自分の快適さ、幸福度が上がるよう、思い切って生き方をカスタマイズしてみましょう。
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