「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。今(2020年6月)、アメリカが大変です。黒人差別に抗議するデモが過熱し、暴徒化に発展。何の脈絡もなく、白人が黒人から襲撃される事件も頻発しています。
彼らを犯罪者として批判するのは容易いですが、それだけでは問題は収まりません。今回の記事は、社会から悪を無くす方向性について、お伝えします。
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悪行は、どのように正当化されるのか?
人は、自分が悪であるという事実に耐えられません。ですから、どのような悪人であっても、必ず自分を正当化します。
これは正義だ! という真正面からの正当化もあれば、仕方がない、これくらいは許される、といった消極的なものもあります。
「仕返しは無罪」の心理
子供の頃、「一発ぶたれたなら、一発はぶち返して良い」といったルール、ありましたよね? やられた分だけをやり返すなら、悪くない、罪にはならない、という考え方です。
ハンムラビ法典の、あの有名な「目には目を、歯には歯を」も、同じような精神です。これは一般的には、復讐を煽る好戦的なフレーズとして広まっていますが、実はその意味は逆です。過剰に罰してはいけないという、制限の意味合いが強いそうです。
こうしたバランス感覚は、世界共通です。暴徒化した集団も、襲撃をする個人にも、この感覚はあります。自分が受けてきた差別や屈辱の範囲内で、仕返しをしているのです。
無関係の人間に対する加害でも、正当化され得る
それでは何故、暴徒は無関係の人間を襲うのでしょうか。ただそこにある店が略奪され、普通に歩いているだけで暴力を奮われる。断じて、これらの行為は仕返しではありません。
確かに、加害者への報復でなければ、仕返しとしては成立しません。しかし彼らには、「自分は理不尽に被害を受けた」という認識があります。自分は理不尽な目に遭ったのだから、自分にも他人を理不尽に加害する権利がある! という、捻じ曲がった仕返しです。
正義だという正当化ではなく、許容される悪として位置づけられているのです。
正当化の芽を摘み取る
それでは、彼らの悪行を止めるには、どうすれば良いのでしょうか? 一つには、圧倒的な力によって抑えつける方向性があります。明確な犯罪行為は、厳しく取り締まり、罰しなければなりません。
もう一つには、正当化の理由を無くす方向性です。正当化の芽を摘み取り、悪行へのモチベーションを上げさせません。
一切の差別をなくす
アメリカでの黒人差別は、未だ根深いと聞きます。黒人が政治や経済、スポーツなどの分野で成功し、重要な地位にあるのも珍しくはありません。公的に制度での差別はありませんが、日常では当たり前のように差別が残されています。
また拉致や人身売買によって連れて来られ、奴隷として働かされてきたルーツによって、生まれながら不利な境遇にある黒人は、少なくありません。彼らはよく「黒人を特別に優遇しろ」と要求しますが、心情としては理解できます。
彼らに、そのような「差別をされている」という意識が消えたなら、正当化の根拠も失われます。
これは人種差別問題だけに、留まる話ではありません。日本においても、人は性別、年齢、外見、居住地、経済状況などによって、大なり小なりの差別があります。
差別によって被ってきた不利益、心の傷みは、そのまま「加害して良い権利」に変換され得るのだと、知っておいてください。
ですから社会は、一人一人の個人は、差別による理不尽を起こしてはなりません。競争の結果、必ず優劣はつきます。受験にしても雇用にしても、魅力的な枠である程、入るのは難しくなります。
その敗北の理由を、「自分は、差別されているからだ」と思わせてはいけません。あくまでも公平な社会で、純粋に実力で及ばなかったのだと思うなら、強い破壊的な恨みには繋がりません。
もう一歩だけ、優しくなる
そして重要なのは、人の優しさです。
人として尊重されず、蔑ろにされれば、自尊心を傷つけられます。心が屈服すれば卑屈になり、抵抗すれば怒りになります。怒りが蓄積されれば、憎悪として濃度を増し、破壊の衝動を強くします。あまりに強い衝動は、理性を著しく損ねます。
強い攻撃性と理性の欠如によってもたらされるのは、悲劇以外には有り得ません。
ここで、考えてみてください。
・自分にとって、どうでも良い人
・何となくでも、見下している人
に対して、どのように接しているでしょうか? あからさまに差別的な言動で貶めないまでも、心を持たない物のように扱ったり、横柄と取られる態度であったり、していないでしょうか? その積み重ねが、自尊心を傷つけていきます。
例えば、あるコンビニのアルバイトの方は、客が「どうも」と言うだけで、嬉しいそうです。逆に金を投げて渡すような人間には、殺意を覚えるそうです。
相手の人格を尊重する気持ちがあれば、自然と態度が変わります。どんな人にも、無意味に嫌な思いをさせません。多くの人達が、もう一歩だけ優しくなれば、環境は大きく変わります。
他人を蔑ろにする気持ちが、言動の端々から滲み出て、人を傷つけます。逆に他人を尊重する気持ちから滲み出るそれは、人の心を救うのです。その見えない積み重ねが、社会を安全にも危険にもするのです。
まとめ
悪行に手を染める者の多くは、それを正当化しています。差別によって虐げられたという思いは、怒りを超えて憎悪となり、爆発すれば悲劇を引き起こします。
その悲劇を防ぐには、正当化の芽を摘んでしまう事です。差別によって理不尽に虐げられる人たちを無くし、多くの人達が、もう一歩だけ優しくなる。他人を蔑ろにせず、尊重する。
その積み重ねによって、社会は安全にも危険にもなります。
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