「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。僕は治療家として、多くの精神的な問題を抱える方々と対峙してきました。
その中で、男性と女性とで、ある傾向の違いに気付きました。結果として鬱症状、鬱病という状態は同じでも、そこに追い込まれるプロセスが違うのです。
ですから、精神的に追い込まれないためには、どうすれば良いのか? という課題で、男性と女性とで、気を付け方、注意の仕方の傾向が分かれます。引いては、立ち直り方のヒントを与えてくれる、非常に重要な内容です。
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男性性/女性性の違い
男性と女性とでは、人間性、性格の傾向に大きな違いがあります。これはおそらく、ホルモンが脳に与える影響の違いから、多くを説明できます。
男性性の特徴は、決断。女性性のそれは、受容です。一般的に、男性は男性性の特徴を大きく持ち、女性は女性性の特徴を大きく持ちます。また互いに、肉体の性とは異なる性も持ち合わせています。
この男女の性のバランスで、個人のメンタリティーが定まります。ですから「自分は女性だけれど、この話は当てはまらない」といったように、ピンと来ない人もいます。そういった方は、自分とは逆側の性の話が、参考になるかもしれません。
「男は論理的」、「女は感情的」とは?
よく男は論理的、女は感情的、と言います。男だって感情的になってよく怒るじゃないか、女だって理屈っぽい人はいる、などと、納得する人も多い反面、異論も目立ちます。
実はこの正体は、「論理的整合性への、欲求の強さ」の差です。女性性は受容なので、矛盾を矛盾したまま持っておける性質があります。決断である男性性は、矛盾に耐えられません。矛盾を矛盾のままにはしておけず、白黒をつけたがるのです。これによって男性は、一つ一つに自分なりの尺度、基準を蓄積していきます。
それでは女性は、何故、感情的と言われているのでしょうか? 女性は矛盾を矛盾したまま持っておけて、無理に論理的整合性を付けようとはしません。基準などどうでも良く、その時々で、感覚的に正しさを導き出します。
要は、本質的に重要なものを取れてさえいれば、細かい部分は気にしません。その姿が、基準に照らし合わせて判断する立場からは、感情を満足させようとしているだけ……感情的に見えるという訳です。
このような性質の違いが、精神的に追い込まれていくプロセスを分けます。
男性は、早い段階でクラッシュする
精神的な苦痛、負荷がかかった状態を強いられた時、男性は解釈や考え方で整合性を取ろうとします。
例えば、職場で心身ともに辛い状態を強いられたとします。パワハラ上司や横柄な取引先を相手にして、自尊心が損なわれる。残業も多く、給料も良いとは言えない。このままの自分では、耐えられません。
そこで何とか理屈をつけて、正当化を試みます。「家族のためだから、仕方がない」、「こんな自分でも、間接的には社会に役立っている」などと、矛盾をなくそうとします。
しかし正当化にも限界があり、自分を納得させられるとは限りません。けれども先行きの不安で、辞める方向にも踏ん切りがつかない。
解消しきれなかった矛盾に潰される形で、男性は追い込まれていきます。
女性は、許容量から溢れ出して倒れる
女性の場合には、そういった負荷のかかった状態を強いられた時、気分の調整で乗り越えようとします。よく女性の愚痴は、必ずしも解決策が欲しいわけではない。と言いますが、これは、気分の調整を目的にしているからです。
気分の調整で乗り切れるのであれば、問題が解決すること自体は、さほど重要ではありません。(勿論、解決するのが望ましいのは当然です)
女性は、矛盾を矛盾したまま持っていられるため、道理に合わない状態でも、理屈ぬきに耐えられます。どんな手段でも方法でも、感情や気分を調整して乗り越えられれば、矛盾の存在はさほど気にしません。
しかし物事には、限界があります。整合性を取らずに多くの矛盾を溜め込んでしまえば、どこかで許容量を超えます。ここまでは耐えられるという器が決まっていて、溢れ出して収拾がつかなくなる形で追い込まれるのです。
男女別、鬱病まで追い込まれないために
こうした男女の傾向の違いから、鬱病にまで追い込まれない考え方、鬱病からの抜け出し方にも違いが生じます。
鬱状態にまで精神が追い込まれそうになった時、男性の場合には、自分の狭い世界を放棄すると上手く行きます。女性の場合には、小まめに心と向き合うと、バランスを保てます。
男性は、自分を捨てる
男性にとっての神様は、自分の基準です。何が正しく、何が間違っているのか。何が幸せで、何が不幸なのか。何がカッコよく、何がダサいのか。蓄積してきた基準の数々が、一つ一つをジャッジして、心はその判断に追従します。
ただ培ってきた基準郡が、自らを傷つけるケースもあります。形成された当初では、その時点での自分を肯定できても、状況が変われば話も違ってきます。自分には価値がある、幸せだ、カッコイイと支えてくれたものが、場合によっては、自己否定をするものにひっくり返ります。
そんな時には、一度、自分の基準を全て放棄してしまうのです。すると基準によって歪められていた心が、本来の姿を取り戻します。善悪、幸福、美学などがシンプルに整えられ、心が袋小路から抜け出します。
あまりに状況に合わせて偏った基準は、状況が変わった時、自分自身に牙を剥くと知っておいてください。固めて自分を守るよりも、脱力して緩さを持った方が、心は強くなります。
女性は、向き合って心の整理をする
女性は、抱えておけるがばかりに、心に生じた問題を放置してしまいがちです。その時々の感情や気分の調整で何とかもなるので、そちらに頼り、解決を後回しにもしがちです。いえ、そもそも解決する必要性自体を、感じていない人もいます。
ですから女性は、折を見て、小まめに自分の心と向き合うようにします。怒っている、嫉妬している、悲しんでいる、落ち込んでいる、といった負の感情に目を向けると、自分が何に反応して、どうしてそうなっているのかが見えて来ます。
目を向けたなら、感情はより強く感じられるはずです。負の感情だからと、抑え込む必要はありません。感情をそのまま解放してあげれば、辛さも抜けていきます。
男女、逆でも効果あり
人の心は、多くの価値観や感情の軸が混在する、複雑な存在です。男性の中にも女性性があり、女性の中にも男性性があります。
男性であっても、矛盾を矛盾したまま抱えている部分はあります。女性であっても、基準に縛られて自分自身を傷つけている部分はあります。
ですから男女、逆のアプローチも効果があります。これは男性性、女性性が起こしがちな不具合と、その対応策です。男性は男性性、女性は女性性でのトラブルを起こしやすいものの、逆もあるという訳です。
まとめ
男性性は、基準に縛られて不具合を起こし、現実とのバランスが取れなくなってクラッシュします。女性性は矛盾を持っておける器の大きさに頼り、うっかりと許容量をオーバーさせて制御不能に陥ります。
男性性のトラブルは、基準を放棄して心を解放させる。女性性のトラブルは、小まめに負の感情を清算することで、良い状態を保てます。鬱病、鬱症状から立ち直るプロセスにおいても、これらは極めて有効です。
また肉体の性とは逆の性も持っていますので、反対の性のアプローチも試す価値ありです。
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