「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。常に冷静で、合理的であり続けられる人はいません。肉体も精神も、その時々の状況で左右されます。
長い人生を、何の失敗もせずに全うするのは至難です。何回かは、大きな過ちを犯してしまうものです。裏切り、暴力、暴言、責任放棄などで、誰もが強烈な罪悪感に苛まれた経験を持っています。
人は耐え難い罪悪感と、どう向き合うべきなのでしょうか?
罪悪感の正体
人は決して、悪を受け入れない
多くの人が何となくイメージしている以上に、人間は悪を忌み嫌います。自分の中にある悪など、承認できるはずもありません。
ですからどんな悪人であっても、必ず何らかの正当化が施されます。正当化には、積極的に正しいと承認するものと、仕方がなかったと減刑するものとがあります。
罪悪感から逃げようとすれば、目を背ける、正当化する、の何れかが選択されます。ただ単に直視するなら、悪を含む自分自身を嫌悪します。
自身を裁くのか、許すのか
罪悪感は、自分への嫌悪です。嫌悪する相手が自分自身である為、逃れようのない苦痛になります。何をどうしても、自分が自分であるという事実は変えられません。
自分一人で、検察、弁護士、裁判官の三役を演じているかのような状況です。正義感である検察は、罪を糾弾します。苦痛から逃れたいと欲する部分が、情状酌量の余地をアピールするか、正当化を試みます。それを公平に判断しようとする理性が、裁判官です。
勝敗は、裁判官がどちらに肩入れするかで左右されます。自分に厳しければ検察寄りに、甘ければ弁護士寄りになります。多くの場合、自分の精神が耐えられる範囲で、正義感が満たされるラインが模索されます。
つまり、精神が強ければ自分を裁く要素が強くなり、弱ければ許す要素が強くなります。極めて弱い人物、向き合うにはあまりに重い罪であった場合、裁判官を無能にする(思考回路を麻痺させる)事で、強引に無罪や減刑を勝ち取ろうとします。
あるいは無罪や減刑が不当な判決だと気付いてしまっている場合は、裁判自体を停止させて、判決そのものを出さないようにします。要は、思考停止です。
何をしても、悪は消えてくれない
いくら検察が自分を重く糾弾しようとも、弁護士が無罪や減刑を勝ち取ろうとも、裁判官が判決を保留しても、自分の中に生じた悪は消えてくれません。
罪悪感との向き合い方をどうこうしても、罪悪感そのものは消えてくれないのです。
気が済むまで自分を責める
罪悪感が消えてくれないのであれば、何をしても無駄なのでしょうか? 気が済むまで自分を責めるという行為に、どんな意味があると言うのでしょうか?
罪悪感からは逃げきれない
人の本質は、善にあります。意図的に他者を損ねる悪は、崩れた人間性の産物です。ただ常に完璧に人間性を保てる人はいませんから、人間という存在は、悪を内包するものでもあります。
ですから怒りや憎悪から解放されて冷静になった時、罪悪感を覚えます。いくら自己弁護で固めても、その欺瞞性を知っています。いくら目を逸らしても、記憶から消えた訳ではありません。自分を厳しく裁いたところで、罪の意識が消えるという構造でもありません。
人が罪悪感から逃げきる術は、存在しないのです。
自分を責め尽くしたなら……
それでは自分を責め尽くす行為に、どんな意味があるのでしょうか? 確かに、いくら裁いて責めたところで、罪悪感は消えません。
しかし人間には、「罪の大きさに対して、これ位は自分を責めなければならない」という感覚があります。罪悪感は消えなくても、責めるだけ責めたなら、今度は「仕方がない」と思えてくるのです。
いくら自分を責めても、悔やんでも、現実は変わりません。変わらない現実を突きつけられ続けて、ようやく責めるのも悔やむのもトーンダウンします。
「仕方がない」と思えたなら、自分を責める以外の精神活動に移れます。前を向ける人は、ここで前を向きます。
罪悪感が財産になる時
罪悪感は、心の負債です。負債があれば、当然、返したくなります。しかしいくら返しても、罪悪感は消えません。それは返済され尽くせない、永遠の負債なのです。
これは、正しくあろう、誠実であろう、優しくあろう、とする意識に繋がります。罪悪感という負債の苦しさを知っているので、それをもう増やしたくないからです。
この意味では、罪悪感は人を正す財産と言えます。また逆に言えば、人は正しくある為に罪悪感を持ち、それは決して消えないように出来ているのです。
しかし罪悪感から逃げて、善悪が逆転するような正当化を施せば、話はまるで違ってきます。自分の誤った正しさを証明するために、誤りを繰り返す負のループに陥りかねません。
その意味でも、真正面から罪悪感と対峙し、「自分を責め尽くす」過程が重要となります。
まとめ
本質が善である人間にとって、罪悪感は逃れられない苦痛である。それは自分を裁こうと、弁護しようと、目を逸らそうと、決して払拭できない。
罪の大きさに対して、これくらいは自分を責めるべきだという感覚がある。気が済むまで自分を責めても、罪悪感は消えないが、前を向くことは出来る。
罪悪感と正面から対峙し、自分を責めた人にとって、それは自分を正す財産となる。
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