「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。無知の知は、不知の知とも言われます。「知らないことを知っている」という意味では、不知の知の方が適切かもしれません。しかし言葉のインパクトでは、無知の知です。
自分は知っていると慢心して学びを閉ざしてしまえば、その時点で知的成長は止まります。地頭の良い人は、そのような取りこぼしをしません。
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地頭を良くする重要なポイント8、「無知の知、慢心による取りこぼしを警戒する」
無知の知とは
無知の知は、ソクラテスの残した名言として知られています。正確には、ソクラテスの言葉を、格調高く、すっきりと一言でまとめたフレーズです。
意味は、皆さんもご存知の通りです。「自分は、知らないことを知っている。その自覚がある分だけ、知恵がある」というものです。慢心、自惚れへの注意喚起として、時代を超えた現在でも広く支持されています。
慢心、自惚れは目を曇らせる
「自分は全てを知っている」、「新しく学ぶべきものなど、何も残ってはいない」と想定していると、未知の価値あるものに出合った時に、取りこぼす確率が高くなります。
焦点が当たらずに、認識しない。あるいは自分が知っている何かに当て嵌めて解釈して、理解したつもりになる。この、何れかです。
前者は、視界を使ってすぐに実験できます。全体的にぼやっと、周囲を見渡してみてください。次に、そこにある一つ一つの物に焦点を当てて、色や形を細かく見てください。……ただ見る気があるだけで、情報量がまったく違いますよね。
後者については、例えばこういう事です。イルカ、鯨は哺乳類です。しかし見た目は、ほとんど魚です。もしもイルカ、鯨を知らなければ、それを目にしたら魚だと解釈するでしょう。
自分は全てを知らない、そこに知らない何かがあるかもしれない、そう想定をしておくだけで、取りこぼすリスクが低くなります。
法則の過信には、要注意!
法則とはこの場合、「〇〇とは、〇〇だ」の集合だと考えてください。心理学者や社会学者が提唱するものから、一般的に何となく共有されているもの、個人的に発見したものまでの、広い概念です。
当然、それらは玉石混淆です。鋭く本質を突いたものもあれば、偏見に満ちたどうしようもないものもあります。鋭く本質を突いた法則であっても、使いどころを間違えれば、情報が誤った形で認識されてしまいます。偏見に満ちた下等な法則は論外で、使えば使うほど馬鹿になります。
法則の恐ろしいところは、人を「自分は知っている」と思わせる力です。勿論、それが法則のそもそもの役割ではあるのですが、法則に従って解釈した瞬間に、「自分は本質的に理解している」と捉え、思考を止めてしまうのです。この現象は、無知の知の明らかな天敵です。
偏見に満ちた事例として、「フェミニストは、美人に嫉妬したブスの集まりだ」を見てみます。どこかで、見聞きした覚えがあると思います。美人はチヤホヤされて優遇されるので、女性である利益を大いに享受している。女性の権利がどうのと文句を言うヤツは、ブスに違いない。……という理屈です。
正直、そういった要素がまったくないかと言えば、なくはないでしょう。個人単位の事情としては、有り得る話です。しかしフェミニストに目覚める理由と背景は、人それぞれです。
フェミニストをそのように偏見で捉えてしまうと、「美人に嫉妬している」という枠組みで解釈を繰り返します。いくら男女の不平等を訴えようと、性の対象として消費される嫌悪感を訴えようと、「ブスが妬んでらあ」という風にしか捉えません。このような誤った法則を適用すればする程、馬鹿になっていくのは当然です。
一方、法則自体は正しくても、適用の仕方を間違えればズレていきます。人の成長過程に、反抗期があります。反抗期など存在しないという科学者もいますが、ここは正しい法則として存在することを前提にします。
自分の子供が10代半ばになって、素直に言うことを聞かなくなったとします。反抗期という知識があるので、多くの親は「反抗期のせいだ」と解釈します。しかし言うことを聞かない、従わない、反論してくる、といった行動の一つ一つには、個別に理由があります。過干渉が鬱陶しくて突き放したいのであれば、これは反抗期のカテゴリーで良いでしょう。
しかし親が子供のために良いと思って敷いたレールが、子供のやりたい事と違う、将来の夢が別に出来た、のであればどうでしょうか。反抗期による反抗は、反抗そのものが直接の大きな目的です。自分の夢のために従わないのは、反抗期とは関係ありません。ところが反抗期だから、で思考停止していると、全てをその範囲に解釈で押し込めようとします。
法則自体は正しくても、そこに入れるものを間違えれば、むしろ認識は現実から遠ざかります。法則はそこにある現実の真実を浮かび上がらせるものですが、使い方を間違えれば、現実を歪めもする諸刃の剣です。特定の法則への過信も、無知の知の一旦です。
地頭の良い人の考え方
地頭の良い人は、無知の知による機会損失を怖れます。あるいは元々、森羅万象の全てを知り尽くすなど有り得ないとも知っているので、「自分は全てを知っている」とは慢心しません。
全体のバランス感覚にも優れるため、偏見で凝り固まりません。多くの法則を備え、それを瞬時に適切に利用します。
まとめ
知的好奇心、探求心の旺盛な人は、常に何か課題を持っています。解らない、知らないものに焦点が当たっているため、感覚的には「自分は何も知らない」となります。無知の知は、謙虚さではなく、目標設定の高さから来る自然な自己評価です。
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