「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。「ごめんなさい」、謝罪の意味を考えてみた経験はありますか? おそらく殆どの人が、何となく謝罪を行い、何となく謝罪を受け止めていると思います。
謝罪は、良好な人間関係、社会の平和のために、とても重要な要素です。謝罪の本質と意味、正しい謝り方を知りましょう。
タップ、クリックできる【目次】
謝罪の本質とは
借金を無料で返せるようなもの
「ごめんなさい」、「申し訳ありません」と謝罪し、相手から許してもらえた。怒りが強く、許してもらえなかった。形だけは許してもらえたけれど、関係は壊れてしまった。など、あなたにも多くの経験があると思います。
傾向として結果が悪い場合には、謝る姿勢に問題があります。逆に、謝罪を受ける側の立場ではどうでしょうか。場合によって違いますが、受け入れずに拒絶するのか、寛容に許すのか、どのような傾向にあるでしょうか。少し、記憶をめぐらせてみてください。
謝罪をされるからには、相手には非があり、自分はその被害者の立場にあります。貸し借りの「貸し」があるような状態です。
貸しがあるままでは、心が落ち着きません。何かの形で返してもらわないと、気が済まない。その方法としては、
・埋め合わせてもらう(奢ってもらう、お願いを聞いてもらう、など)
・復讐する
などがあります。これらがあると、「貸し」が無くなった感覚になって、満足します。ここまでは、何となくでも、まあそうだなと納得できると思います。
けれども、もっと単純で、良い返済方法があります。それが「ごめんなさい」です。実はこの「ごめんなさい」には、驚くべき心理的な効果があります。殆どの人が、それに気付いていません。謝罪を受けた人は、自分の正当性を認められ、自尊心が満たされます。すると謝ってきた相手の位置づけが、「自分を認めてくれた恩人」に変わってしまいます。
場合によっては、貸し以上の返済となり、むしろプラスマイナスでは、プラスに転ずるケースすら珍しくありません。ごめんなさい、謝罪の威力は凄まじいのです。
自分の正当性を主張するのは、大馬鹿のすること
裁判や交渉の場では、それは重要です。けれども自分に非があり、謝って相手に許してもらおうとする時、相手との良い関係を崩したくない時に、それをしたら大馬鹿です。
謝罪の本質は、「相手の尊厳を認める」です。自分の正当性を主張する行為は、その本質に逆行してしまいます。アクセルとブレーキを同時に踏むようなものです。
しかし非があるとは言っても、10:0で自分が悪いわけではなく、7:3、6:4といった感覚的な割合のケースも多いです。比較すれば自分の非が大きいとは言っても、完全に自分が悪いわけではない。そのような状況では、3や4についての主張もしたくなるのは当然です。
けれども謝罪を受ける側の多くは、自分は完全に正しく、相手が完全に間違っていると思っているものです。もしも自分にも正当性があると考え、それを認めて欲しいと思うのであれば、相手に受け入れる姿勢が出来るまで待つべきです。受け入れられない状態でそれを行えば、火に油を注ぐ結果になりかねません。
謝罪を行うには、まずは誠実に、しっかりと10:0で自分に非があるのを前提にして行います。自尊心が満たされた相手の心には、寛容さが芽生えてきます。このタイミングであれば、言い分を受け入れてもらえる見込みがあります。
ただその時も、「自分は悪くない」と主張していると受け取られてはなりません。自分を正当化したい気持ちは解りますが、そうと思われれば、途端にまた心を閉ざされてしまいます。
客観的に事実のみ、状況や事情を伝えるようにしましょう。そこにあなたの正当性を見出すか否かは、相手の自由です。結果にこだわってはいけません。相手に寛容さが生まれているのであれば、好意的に見てくれるでしょう。
また、あなたから謝罪を受け取り過ぎていると感じていたなら、相手の方から積極的にあなたを弁護してくれる展開もあります。
謝罪の社会的な意義
謝罪を許せないと……
素直に「ごめんなさい」と言われてしまうと、相手にはプレッシャーがかかります。それは「許せない自分は器が小さい、間違っている」です。
貸しを作っていたはずが、許さないことで、相手に借りがある感覚になります。ですから心情的に許したくない時に、こんな言葉が出てきます。
「本当に悪いと思っているのか!?」
「謝れば済むと思ってんじゃねーよ!」
本当に悪いと思っていない、謝れば済むと思っている、どちらも謝罪の正当性を否定する発言です。正当な謝罪ではないので、そのプレッシャーを感じずに済むという訳です。
悪いと思ったら謝る、素直に謝られたら許す
今回の記事は、人の精神と心の中でも、分析してはいけない部分かもしれません。人の誠意や真心を分析して解明すれば、素晴らしいそれらへの冒涜に値するのでは? という感覚もあります。我ながら、何だか読み返してみると感じが悪いです。
だから最後、社会的にも真っ当なことを書きます。人と人との付き合いは、心と心です。相手を尊重する気持ちと素直さ、寛容さをもって接すれば、人間関係はそうそう悪くはなりません。自分も周囲の人達も、気持ち良く生きていけます。
悪いと思ったら素直に謝り、相手が素直に謝っているなら、寛容に受け止めましょう。埋め合わせ、復讐という形ではなく、謝罪と許しで人と人の溝が埋まっていくなら、社会はより良いものになります。
まとめ
ごめんなさい、謝罪の本質は、「相手の尊厳を認める」です。それ自体に大きな価値があるために、謝罪は借りの返済として機能します。また謝罪を受けた相手は、寛容さを試されるプレッシャーがかかります。
言い分はあっても、謝罪時には10:0を前提に行いましょう。寛容さを備えた一定の人格者であるなら、相手の正当性を受け入れます。
悪いと思ったなら素直に謝り、誠実な謝罪を受けたなら許す意識を持ちましょう。
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