「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。幸福は、お金では買えない。よく見聞きするフレーズです。しかしお金で買える幸せだって、確実に存在します。
人はお金で、どこまで幸せになれるのか? を検証していきます。
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人はお金で、どこまで幸せになれるのか?
「ない → ある」への変化は絶大
もっとも大きな変化とは、無が有に変わった瞬間でしょう。ちょっとした薄毛に1000本の植毛をしても、ほとんど気付かれません。しかしスキンヘッドに1000本の植毛をしたら、違いは誰の目からも明らかです。
テレビがない生活をしていた人がテレビを購入すると、状況は大きく変わります。小さな安いテレビから大きな高いテレビに買い替えても状況は変わりますが、「ない → ある」ほどの落差はありません。
ある程度のお金があると、生活に必要なものは全て揃い、娯楽にも使えるようになります。それ以上のお金があれば、今度はそれらの質を上げていくように使われます。ただ質が上がった喜びは、それをない状態から買った喜びには敵いません。無から有への変化に比べれば、インパクトに薄くなるからです。
お金で買える幸福は、おおよそこの種類だと思ってください。
幸福向上限界値は月々2000万円?
お金は使おうと思えばいくらでも使えますが、本当に欲しいもの、価値あるものを購入していくことに限定すれば、ある程度のところで限界は来ます。
それを月あたり2000万円くらいではないか? と言う人がいます。色々な遊びをし尽くして発言されているのですが、2000万円以上となると、無理に使おうとしなければ使えないそうです。つまり欲しいと思うものを思う存分、買って喜べる金額は、せいぜい月々2000万円だということです。
もちろんこれは、趣味や嗜好によっても異なります。骨董品や美術品が好きな人では、いくらあっても足りないくらいでしょう。そういう特別な趣味がなければ、2000万円くらいで、ほとんどの物欲は満たされてしまいます。それ以上の金額を無理に使っても、喜びも幸福も増えていきません。
車を何台も所有していた男性の話
大儲けした時には豪邸に住み、高級車を何台も所有し、大損して転落した後は質素な生活に逆戻りしたという男性がいます。
そして大儲けしていた時代に果たして幸福だったかというと、当時はウカれていて、あまり記憶にないとのこと。質素な生活をしている今が当時に比べて不幸かと言えば、そうでもない。もう一度、お金持ちになりたいか? と問われれば、なりたいけれども無理には良いという回答です。
お金は倍あったからといって、幸福が倍になるわけではない
お金は倍あったからといって、幸福が倍になるわけではありません。
ですが生活に困るレベルの人が、充分に豊かに生活できるようなレベルに上がったならば、そこには大きな満足感があります。お金が増えることによって増大する幸福感は、最初は大きな落差があります。けれども増えれば増えるほど、幸福が増えていく度合いは小さくなっていく傾向にあります。
ある程度以上のレベルであれば、その差は「家族との良好な関係」「自由に使える時間」などの他の要素によって、簡単に逆転されるものです。
お金が欲しいわけではない
私たちはお金が欲しいわけではありません。人生の幸福が欲しい。その手段としてお金があるはずです。幸福は、家族との関係であったり、充実した時間であったり、自分自身の成長であったり、他にも多くの要素があります。
お金を稼ごうとして、幸福の他の要素を犠牲にしてしまえば、結局は幸せとは言えません。お金は生活に不自由しない程度あれば、その後の伸びでは幸福への貢献度は低くなっていきます。あまり喜びの大きさが変わらなくなってきます。幸福を得ることを投資によるリターンとして考えれば、お金の他にも重要な投資先はいくらでもあります。
大金持ちになっても、家族関係が冷え切っていたら、決して総合的には幸福とは言えません。であれば多少貧しいくらいでも家族関係が良好な方が、よほど幸福です。
実際、金の亡者が金銭的には成功したけれども、総合的に見れば不幸な境遇に陥ったという話は多く聞きます。世間が、金銭的な成功者の不幸話を望んでいる分を差し引いても、「金銭を最優先にして生きたら、碌な人間にならない」のは、一つの事実でしょう。
お金の使い方を考えよう
お金を虚栄心や見栄のために使ってしまえば、それは人生の幸福への投資という意味ではまったくの無駄遣いです。健康、心の充実、学習、社会貢献など、積極的に幸福のために投資をしていきましょう。
大儲けした人がお金に溺れてしまい、後に何も残らなかった…… という話はよく聞きます。お金は手段に過ぎないので、使い方の方が重要です。
例えば僕は、稼ぎが良くなったタイミングで小さな子供がいたので、週に一回は遊びに連れて行きました。子供達との楽しい思い出という、一生の財産が手に入りました。ただ勿論、共に暮らした毎日の方が、価値は圧倒的に上です。その上での、贅沢です。
これは僕と家族の幸福にとって、良い使い方だったなと思います。何がその人にとっての幸福かは、それぞれです。少なければ少ないなりに、多ければ多いなりに、幸福度を上げるように考えましょう。
前にも書いてある通り、ある程度の生活をしているなら、幸福度はあまり変わりません。僕も記憶を思い起こすと、「海外旅行の思い出 = 荒川遊園地の思い出」です。飛行機に乗って遠くに行こうと、近所の小さな遊園地だろうと、思い出にある幸福感に差はありません。
まとめ
「無 → 有」へのインパクトは、凄いです。「最低 → まあまあ」の落差も、まずまずです。しかし「まあまあ → 高級」になると、落差はかなり縮まります。それなのに、金額は何倍もします。
ただ「お金持ちの自分」が好きで溜まらない人だけは、例外です。お金で買えるものではなく、そのポジションにいる事実が重要だからです。
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