「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。希少価値、ブランディングの付加価値って、凄いですよね。価格を何倍にも何十倍、果ては何百倍にも引き上げて、それでも欲しいという人がいます。
しかし品質だけを見ると、どうなのでしょう? 希少価値を無視すると、ありふれた日常の素晴らしさが解ります。
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一切の希少価値を無視すると、日常の満足が見えてくる
プラチナとステンレス、見分けられますか?
プラチナという高価な金属があると知った時、僕は衝撃を受けました。僕のプラチナへのファーストインプレッションは、「……鉄じゃん」でした。
ダイヤモンドやゴールドであれば、他の石や金属とは違うなと思っていました。しかしプラチナでは、まるっきり鉄です。台所のシンクに使われているステンレスとも、違いが解りません。
ちなみにステンレスのステンは錆で、ステンレス、錆びないという意味だそうです。このネーミングに、一切の付加価値を感じません。
けれども世間の扱いには、雲泥の差があります。ステンレス製のジュエリーを身に付けていたなら、安物と馬鹿にする人も多いでしょう。しかしステンレスを馬鹿にする人たちの何割が、両者の見分けをつけられるのでしょうか? 少なくとも、僕には無理です。買い取りなどを行うプロの目であれば、両者を見分けるのは、そう難しい話ではないそうです。しかしタングステン合金になると、プロでも判定が難しいそうです。
ジュエリー用の素材として大差ないプラチナとステンレスですが、金銭的な価値ではまったく違います。プラチナの相場は、1グラムで3000円強くらいです。一方のステンレスは、合金の中身によって差はありますが、高い合金でも1キロで300円、安い合金なら一キロで20円です。
少しの輝きの差があるとしても、これだけの価格差は妥当でしょうか?
ガラスなら、ダイヤモンドの4Cで、楽々とハイスコアを取れる
ダイヤモンドの価値を判定する、4Cという基準があります。
・カット ブリリアントカットなど、削り方
・カラー 無色透明であるほど良い
・クラリティ 傷や他の物質がなく、透明であるほど良い
・カラット 重さ
大きくて、無色透明で傷やにごりがなく、カットに優れていれば高いというわけです。その金銭価値については、皆さんもよくご存知の通りです。
ただこの基準で考えると、ガラスのポテンシャルは計り知れません。カラーとクラリティに関しては、圧倒的な優位性があります。カットは、職人の腕の問題です。カラットは、この場合は大きさと考えて良く、ガラスならいくらでも大きくできます。
つまりガラスであれば、4Cの基準で楽々とハイスコアを取れてしまうのです。原料はその辺にある砂なので、低コストにいくらでも量産できます。
外見上の差も、さほど大きくはありません。本物のダイヤモンドとガラスとを見極めるのに、「ルーペを使えば外見上からでも判断できる」と専門サイトに記載がある程です。つまり素人目には、ほとんど区別がつかないレベルの差です。
希少価値 + ストーリーで盛られている
そもそもプラチナがなぜ高価なのかを調べてみましたが、希少性が高い以外に、これといった理由を見つけられませんでした。強いて言うなら、その素材の安定性から、工業用に需要があります。
ダイヤモンドについても、希少性ゆえに価値が高いのは同様です。組織の成分としてはほとんど同等の人工ダイヤモンドも、天然ものに比べて1割程度の価値しかありません。
またプラチナにしてもダイヤモンドにしても、ストーリーによる付加価値があります。プラチナには、白い輝きから、真実の愛を象徴するものと位置付けられています。婚姻で重宝されるのは、その為です。ダイヤモンドは、輝きと硬度の強さで、宝石界の王様というポジションを確立しています。
外見の美しさという本質よりも、希少性とストーリーで、価値が盛られています。
高品質の物に囲まれる、幸せな日常
プラチナやダイヤモンドに限らず、希少性やストーリー、ブランディングなどで価格を上げているものは、いくらでも思い当たります。
ファッション業界のハイブランド、高級食材などは、品質に比例した価格設定とは言えません。明らかに希少性、ブランドであることの付加価値に、高額を支払っています。
しかし十分に満足できるレベルの品質であれば、あらゆる物が通常の生活レベルで入手可能です。現代社会に暮らす普通の人々は、昔の王様よりも、物質的には遥かに豊かな生活を送っています。
ノドグロやアマダイなどの高級魚は、確かに美味しいと思います。しかし旬のサンマが、味で劣っているとは思えません。三種の神器として庶民には高嶺の花だったテレビも、よりキレイな画質で大型のものが簡単に手に入ります。
けれども、こうした手に入りやすい高品質のものは、希少性が低いために、評価をされません。簡単に手に入るという理由だけで、価値が低いと判定されているのです。
高品質の物に囲まれる幸せな日常であるのに、希少性がないから評価をしない。希少性が高くて、本質的には大した価値のないものに憧れる。それで日常に不満を感じているのだとしたら、何とも勿体ない話です。
品質だけにフォーカスすると、満足度が上がる
絵画の世界も、面白いものです。1点ものの原画に高い価値がつくのは解りますが、量産された版画も、刷った枚数によって価値が変わります。そこにある美しさ、芸術的な価値は、同じなのに、です。
僕も、夫婦鯉の滝登りの掛け軸を、治療院に飾っています。これは結婚して治療院を構えたタイミングで、夫婦で揃って頑張ろうという気持ちで、購入したものです。絵柄がかわいらしく、辛さを感じさせない悠々とした鯉の様子が気に入っています。
価格は13000円ほどの、シルクスクリーンです。印刷で量産したものなので、非常に安価です。おそらく製作者のオリジナルを買おうとすれば、とんでもない金額なのでしょう。しかし僕は、この絵柄が気に入っているだけなので、関係ありません。そう、飾った時の見た目しか、興味がないのです。絵を描いた人が誰なのかも、知りません。服でも食べ物でも、全ての物に対して、僕はこのようなスタンスです。
一つ一つの物を品質で判定するので、日常の満足感も高くなります。安くて美味しい物はたくさんあるし、冷暖房で暑さ寒さを凌げるなんて、最高じゃないですか!
品質だけにフォーカスすると、日常の満足度がグッと上がります。希少価値を追いかけるのも、無意味に思えてくるようになります。希少価値を無視するだけで、住んでいる世界が変わります。
まとめ
希少価値、ブランディングで価値が上下するのは、人間の面白いところです。それに価値を感じて良い気分になるだけなら、害はありません。しかし本質以外のものに振り回されて、日常の満足度を落としているとなれば、話は別です。
物を品質だけで見るようにすれば、世界は素晴らしいものに変わります。