「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。夫婦になると、相手の一挙一動が気に入らないという段階もあります。仕方がない部分もありますが、その時期を乗り越えるために、尊重と許容をテーマに考えてみては如何でしょうか。
尊重するのか、否定するのか、という両極端ではなく、許容というグレーゾーンを上手く使いましょう、という話です。
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許容というグレーゾーンで、不具合をやさしく包み込む
尊重と許容
自分と異なる考え方や価値観を、重要なものとして認識して扱うことが尊重です。それは単なる妥協とは違うものです。夫婦関係は、相手の根底を尊重しなければ成立しません。ただその一方で、尊重できないものがあります。
互いに完全ではなく、人はどこかに歪みを抱えているのが普通です。ですから尊重できない、おかしな要素がどこかにあります。概ね普通の人なのに、こと掃除に関しては異常なまでに執着をするであるとか、実母の件になるとおかしくなるとか、過剰反応や妙なこだわりは、あって当たり前です。
精神に歪みがあると、その歪みによって言動におかしな部分が出てきて、本人はそれに、気付いていないものなのです。気付いていたとしても、何らかの理屈で正当化しています。これらは尊重の対象ではありません。大目に見る「許容」すべきものです。
歪みをどの程度、許容するのか?
かと言って、歪みを無制限に許容できる訳ではありません。パートナーに暴力を働いても構わないとする歪みに付き合っていたら惨事になりますし、極端な浪費癖も実害が大きくなります。
何を許容すべきかは、その人の性格上の許容範囲にもよりますし、経済状況などにもよるでしょう。許容できる範囲を逸脱した歪みについては、改善を試みた後に、ダメであれば場合によっては離婚という選択も視野に入れなければなりません。
許容から操縦へ
相手の歪みを理解できてくると、今度はその扱い方が開発されます。客観的にはどうでも良いことで怒ってしまう困ったお父さんでも、自慢の釣り道具に話をもっていけば、機嫌が良くなる。例えばこんな感じです。
それを否定するのは簡単です。ただし否定したところで、改善が難しい問題は多いものです。この場合には、否定するだけ時間と労力の無駄です。
否定 → 許容 → 操縦
右に行けば行くほど、家庭は平和になります。
ただし尊重を忘れずに
ほとんどの人は悪人ではありません。基本的には善人です。どんな悪人であっても、その歪みを綺麗にはがしていけば、最終的には善人になります。人の基本は理性であるからです。この最終的な理性、基本的な人格への尊重こそが、あらゆる人間関係の基本です。夫婦関係になれば、この重要性は計り知れません。
基本的な人格は尊重しながら、歪みについてはある程度の許容を行う。そして上手く歪みを操縦することで、実害を減らしていく。こうした人間関係を、夫婦愛をベースに行っていくのです。
若い人はとかく尖がっています。ですから許容が苦手です。年齢を重ねて経験を積んでくると、人の不完全さが身に染みて理解できてきて、良い意味で諦めが出ます。
個人差はありますが、一般的には、許容と操縦は人生経験を積めば積むほど、上手くなっていくものと言えます。その歪みごと愛おしい。こう思えたら、それはそれで素晴らしい夫婦関係だと思いませんか?
ただ勿論、歪みを正すのは不可能ではありません。しかしそれは、その人の価値観や人生観を覆すような大手術になるでしょう。さほど実害がなく操縦が可能であれば、そのまま愛と許容の優しさで包み込んでしまうのも、一つの生き方です。全体で大きな支障がなく平穏に生活を維持できるなら、歪んだままでも良いのです。
短所は諦めよう
長所と短所と言いますが、それらは表裏一体です。基本となる人間性、価値観、感覚があって、その出方が異なるだけです。
細かい気配りができて、何でもきちんとこなす夫だったとします。非常に有り難い存在ですが、神経質なところもあって生活が窮屈。逆におおらかで細かいことを気にせず、一緒にいて楽な旦那であるけれど、万事でいい加減で困る。
例えば、こんな姿が解りやすいでしょうか。細かさも、大雑把さも、メンタリティとしてある根っこです。時と場合とで、その出方が違っています。
短所を無くせというのは、長所を無くせというのと同じです。もっと突き詰めれば、個性を無くせと同じ意味です。
ですからこのような短所については、大枠で諦める他ありません。多少の改善はあっても、見違えるような変化は期待できません。
ここで出番になるのが、「許容」です。長所の部分の恩恵に免じて、短所については大目に見てあげましょう。
まとめ
人にはそれぞれ、歪みがあって当然です。そして相容れない部分も、必ずあります。
尊重をベースにした許容は、夫婦関係の潤滑油です。
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