「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。3組に1組が離婚してしまうのですから、結婚は本当に難しいです。夫婦関係を良好にするちょっとしたテクニックには多くの情報がありますが、根本的な部分は知られていません。
今回は、「結婚=異文化コミュニケーション」として、結婚の本質部分をお伝えしていきます。良好な夫婦関係には、この基礎が重要です。
タップ、クリックできる【目次】
結婚とは、異文化コミュニケーションである。
結婚のスタートは、異文化と異文化とのぶつかり合い
結婚は、異文化と異文化との衝突から始まります。日本人同士で結婚した場合、常識や感覚が共有されていると期待してしまいます。いえ、期待というよりも、当然のものとしてそれが前提になっています。
いざ結婚してみると、あまりの違いに愕然とします。夫婦観、家族観、生活習慣などが、あまりに違い過ぎるのです。
結婚した途端、なぜ相手が異文化の住人になるのか?
しかし不思議です。いきなり、知らない人と結婚したわけではありません。知り合い、交際し、結婚するまでには、それなりの期間があります。短くても数か月、長ければ10年以上です。多くの時間を共有してコミュニケーションを取り、互いに相手を十分に知って、結婚に踏み切ったはずです。もしも相手の人間性に著しい問題があったり、相性が合わなかったりすれば、結婚に到達する前に破局しているはずです。
それが結婚した途端に、理解不能、意味不明な異文化の住人になってしまいます。何故でしょうか?
人は家庭の中と外とでは、顔を使い分けます。外には外の規律と常識があり、それに沿う形で振る舞わなければなりません。大勢の人が、同じ感覚を共有している世界です。交際中に見るのは、基本的にはこちらの顔です。
一方、それぞれの家庭は少人数です。家庭内にも規律と常識がありますが、少人数であるために強く特色が出ます。結婚して一緒に暮らして初めて、こちらの顔に触れるのです。
このギャップが大きい人は、結婚するとまるで別人のようになります。
異文化コミュニケーションを前提にしないと、酷い目にあう
始末の悪いことに、お互いに自分が特殊だとは思っていません。物心ついて一つの家庭しか知らないので、それが当たり前です。相手も当然、同じ常識と感覚を共有していると思っています。
すると互いに、ギャップが生じます。「当然、こう考えているだろう」「当然、こうするだろう」という認識がズレているため、細かい行き違いが乱発します。歯ブラシや下着を共有するのが当たり前、必要な時にお金は財布から勝手に抜き取って良い、夜ご飯はかならず麺類、など、ローカルルールとローカルルールとがぶつかり合います。例を挙げれば、キリがありません。
このローカルルールは、そこにいる人間の性質と関係性に特化してカスタマイズされたものです。社会全体の常識と習慣は、大勢の人にとって良いように定まります。家庭はそれを少人数で行うので、極端に偏ります。だから人が変わると、まったく通用しなくなります。
音に鈍感な人しかいない家庭では、テレビ、音楽、生活音に関する配慮はありません。だから誰かが具合が悪くて寝ている時も、普通の音量でテレビが点いていますし、音楽もガンガンにかかっています。こういう感覚の人は、音に配慮する発想がありません。
他の家庭で育った結婚相手は、その感覚を共有していません。音に対して普通に敏感で、状況によって静かであって欲しいと思っています。言われなくても音に配慮するのが、この人にとっては常識です。
ここで悲劇が起こります。結婚相手が集中して勉強していようと、具合が悪くて寝ていようと、まったく気にせずに大音量で音楽を楽しむといった状況が発生します。悪気はまったくありません。まさかそれを苦痛に感じるとは、想像もできないからです。もう一方の側は、相手に悪意があるとしか思えません。まさかその配慮ができない人がいるとは想像できないので、自分のことしか考えない冷たい人間性以外に、解釈のしようがありません。
ここで不満をぶつければ解り合える道もありますが、変に遠慮して我慢する方を選ぶと、不満が溜まっていくばかりです。しかもその不満は、相手の人間性への幻滅を含みます。こうした不満と幻滅が積み重なっていった先に、良い夫婦関係は望むべくもありません。
我慢をしてしまうのは、どこかで「言わなくても、気付いてくれる」を期待しているからです。ここはハッキリと言っておきますが、向こうから気付いてくれる可能性は、ほぼ0です。言わなければ、絶対に解ってもらえません。
同じ常識と感覚を共有していると思ったら、大間違いです。相手は、異文化の人間です。言葉は通じるものの、南米や中東あたりの人だと思っているくらいで丁度良いです。
異文化人に、常識と感覚が共有されていると、思ってはいけない。夫婦は、その誤解からすれ違う。
異文化人に、いきりなり怒っても話が通じません。前提とする常識や感覚が違うのですから、まずはそこを埋めることです。
子育てで酷い目にあった実例
これは、僕の結婚初期の頃の実例です。
双子の子供が産まれて、大変な育児が始まりました。夫が育児に参加するのは、今時は当たり前です。どれほど大変なものかは、十分に聞き及んでいます。
しかし僕は家族のために、仕事も頑張らなければいけません。個人事業主に、育児休暇などありませんから。仕事と子育てとのバランスを、どこで取るのが良いのかを模索しようとしました。
そこで僕は、育児について考えるのを放棄しました。その代わり妻には、助けて欲しいことがあったら何でも言うように伝えておきました。妻も了承しました。育児について自分から考える時間と労力を節約して、その分を仕事に回す。リクエストに応じて、育児も助ける。これがもっとも合理的だと、当時の僕は判断したのです。
僕は育児を手伝う気は満々だったのですが、一向にリクエストが来ません。不思議に思いながら、「まあ大丈夫なら、こちらは仕事を頑張るだけだけど……」と過ごしている内に、妻が疲れ果てて限界を超えてしまいました。妻は僕に悪いと思って、自分からは頼めなかったのです。
この不一致は、それぞれの家庭文化の違いによって引き起こされました。僕の育った家庭は、家族同士で遠慮がありません。して欲しいことがあれば、気軽にリクエストをし合います。出来なければ断れば良いだけなので、相手の都合は考えません。けれども、妻の家庭は違いました。先回りして、互いに相手を気遣う文化でした。
ですから妻からすれば、僕がいくら「自分からは動かない」と宣言したからといって、本当に徹底してそうするとは夢にも思わなかったのです。僕は僕で、結婚して家族になった人が、そんな遠慮をしてくるとは想定できませんでした。この件で、僕は妻から人間性を疑われました。
この話をすると、大抵の人は僕の方が悪いと言います。ですから僕の側のローカルルールの方が、より特殊なのでしょう。
異文化人との接し方
中には人格の崩壊した酷い人間もいますが、大抵の人は常識の範囲内で善良な側にいます。自分の基準で人間性を疑ってしまっても、相手にはまったく悪意がないケースも多いです。
異文化人を相手にするわけですから、いきなり怒ったところで話は通じません。相手の頭の中で、「?」が浮かぶだけです。日本人の感覚で笑顔でいると、海外では状況次第では侮辱と取られるケースがあるそうです。それを知らずに「私を侮辱するのか!」と怒られたとしたら、ただただ意味が解りませんよね? そういう事が、家庭内で起こると思ってください。
怒ったり幻滅したりする前に、「きっとこれは、文化の違いだ」と察しをつけるようにしてください。文化の違いを埋めるには、コミュニケーションしかありません。自分がそれを嫌がる理由を話して、互いに理解を深めましょう。相手が常識の範囲内で善良なら、必ず歩み寄ってくれます。その繰り返しです。
まとめ
異文化と異文化を同じ空間に並べて、結婚はスタートします。すぐに互いに衝突し合い、やがて一つの文化に融合します。二人で新しい文化を作り上げる意識を持つと、夫婦関係はより良く発展できます。
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