「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。人生の意味、生きることの意味、見失っていませんか? 本当は皆、心では理解しています。けれども多くの人が、見失います。考えれば考えるほど、解らなくなります。
今回は、そんな人生迷子の人たちを救います。
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人生の意味、その本質とは?
今回のようなテーマでは、意味とは「価値がある、重要である」といった意味になります。後者の意味は、内容という意味です。
……とまあ、言葉遊びはほどほどにして。
ですから「人生の意味」や「生きることの意味」を考えた時、価値ある人生とは何か? という問いにぶつかります。
そこで次に、価値とは何か? という問いに繋がっていきます。多くの人が葛藤する様子を見ていると、ここで曖昧さが目立って要領を得なくなる印象です。
つまり人にとって普遍的な価値は何か? を解明できれば、自ずと人生の意味も定まります。
宗教、スピリチュアルの世界にある重要なヒント
神、あるいは人類を超越する偉大な存在を想定する宗教には、重要なヒントがあります。
世界三大宗教である仏教、キリスト教、イスラム教では、どれも善に至上の価値を置いています。善悪の基準も、「この宗教への信仰は善だ、他の宗教への信仰は悪だ」といった宗教の排他性を除けば、おおよそ根本で一致しています。(三大宗教の全てに、このような排他性があるというわけではありません)
ここから善悪の感覚には、人類共通の普遍性があると判ります。さらにはそれが上位の価値、重要なものだという位置づけにも、一定の普遍性がありそうです。少なくとも、強い違和感はありません。
善とは何か?
意味 ← 価値 ← 善
と繋がってきました。もしも善こそが人生の意味だとすれば、善とは何か? が明らかになった時に、人生の意味も明らかになるはずです。ちょっと、一緒に試してみましょう。
善の正体は、人々が何を善と位置付けているかで判明します。まずは異論のない、誰もが認める善を挙げてみます。
・命が助かる
・幸福になる(不幸な人が救われる)
・平和になる
・犯罪が減る
・悪い人が改心する
・人権が尊重される
・人助け
・環境保護
・動物愛護
といったところでしょうか。次に異論もある、意見が分かれる善を挙げてみます。
・尊厳死
・死刑制度
・自衛のための戦争
・銃の所持
・社会保障の縮小
・強い自己犠牲
・環境破壊を伴う開発
・動物実験
などでしょうか。
こうしてみると、善の基準は、
・生存
・幸福
・調和
の3点に集約されそうです。調和は生存と幸福のためにあるので、調和を抜いて2点と言っても間違いではありません。今回は解りやすいと思うので、この3点にしています。
異論のある、意見の分かれる善には、この3点同士の対立があるとお気付きでしょうか? 例えば尊厳死は、生存と幸福とが対立しています。自衛のための戦争は、生存と生存との対立です。
意見の分かれる善には、挙げきれない項目が多数あります。気付いた時に、この3点の何が対立しているのかを考えると、面白いと思います。
人生の意味とは、善に集約されるのか?
善に振り切った人生を送っている人は、意味のある人生を送っていると言えるかもしれません。少なくとも社会的には、間違いなくそう評価されています。また自己評価も、謙遜はするかもしれませんが、そうかけ離れてはいません。
普遍的な強い価値があると共有されている善には、人生に意味を持たせる力がある。こう断言して、問題はないでしょう。
ただ次に出てくるのは、「果たして人生の意味は、善だけなのだろうか?」という疑問です。
善以外に、人にとって価値ある大切なものを考えてみます。すると愛、楽しい、嬉しい、安心、感動、充実、興奮、自尊心、美しい、といったものが浮かんできます。
「人生の意味とは、〇〇だ」
と、それぞれを当て嵌めてみてください。そのままだと違和感がある場合には、適当に調整します。
「人生の意味とは、心が愛に満たされることだ」
「人生の意味とは、楽しむことだ」
「人生の意味とは、充実した日々を過ごすことだ」
「人生の意味とは、自尊心をもって生きることだ」
といった感じですが、如何でしょうか。おそらく「間違いとは思わないけれど、かと言ってそう言い切るのも違和感がある」といったご感想ではないかと思います。
それが、そのまま答えです。これらは人生の意味を成す一角になるのは間違いないですが、単独で全てを賄えません。
実は善であっても、この事情は同じです。
「人生の意味とは、正しく生きることだ」
信念としては、文句のつけ所がない素晴らしさです。ただこれが人類共通の、誰にでも当てはまる真理かと問われると、自信をもってYESと答えられる人は少ないでしょう。
人生に意味を見い出すには?
人の役に立ちたい、動物や自然のために役立ちたい、幸せになりたい、こうした全てに価値があります。
人生に意味を見い出すには、そんな人として備わっている素直な気持ちに沿ってあげれば良いんです。
価値を最大化させる → 意味が濃くなる
楽しい、嬉しい、幸せ! といった自分の感情や気分だけを満たしていても、良い人生ではありますが、意味ある人生とは見なせないでしょう。善に振り切っていても、自己犠牲が過ぎると違和感も生じます。自分が幸せでなくて、価値ある人生と言えるのだろうか? という引っ掛かりは、ワガママでも何でもありません。
価値には、量があります。価値が増えれば増えるほど、意味が濃くなります。大切な価値を重ねることで、人生の意味は濃くなっていきます。価値は「ある/なし」ではなく、グラデーションで見た方が正確です。項目を重ねて、同じように表現してみます。
「人生の意味とは、楽しく充実しながら、正しく生きることだ。」
如何でしょうか。スッキリと腑に落ちた方が、多いと思います。大切な価値が取りこぼされていないので、心が「それでは足りない」と訴えないからです。仏教系の人たちがよく、利己利他の生き方を提唱していますが、実は人生の意味、生きることの意味、の結論を語っていたのですね。
まとめ
そこに哲学的なイメージの高尚な何かを持ってこようとしても、逆に自分の欲望さえ満たせれば良いんだと理性からの解放を気取ってみても、人生の意味にはなりません。心が素直に感じる価値に、答えがあります。
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