「軽やかに♪ 心click」管理人、小池義孝です。人がより良い心の状態であろうとした時、トラウマという問題は避けては通れません。こちらのブログでは、各テーマに沿ってお話する際に、よく出てくる部分でもあります。
トラウマとは何か? どのようにして形成されるのか? は、人の心を読み解く上で、重要なものになります。こちらの記事で、世界一、明確に簡単にご説明します。
タップ、クリックできる【目次】
トラウマとは何か? どのように形成されるのか?
トラウマ = 記憶 + 苦痛
トラウマを辞書的に説明すると、「精神に受けた傷」となります。ただ世間でこの言葉が使われる時には、「時間が経過しても消えない」という条件が付きます。彼女にひどいフラれ方をして傷ついた段階ではトラウマではありませんが、時間が経過しても癒えずに尾を引いていると、そう表現されます。
トラウマとは何か? をもっとも簡単に表現すると、「トラウマ = 記憶 + 苦痛」という形になります。
記憶領域に、今の自分にとっての苦痛が含まれるものです。その出来事を思い描いた時、今の自分が辛くなればトラウマです。どんなに辛かった出来事であっても、今の自分にとって何でもなければ、トラウマではありません。
苦痛によって理性が麻痺する → 区別がつかない
人には、理性があります。よく理性と言うと、倫理道徳的に正しい心をイメージしがちですが、これは正確な理解ではありません。理性とは、区別をつける能力を表します。善悪を正しく判断できる能力は、理性が機能している一つの姿です。
人は見たもの、聞いた音などの五感で得た情報、出来事の理解、心の反応、などを記憶として保存します。潜在意識という言葉は何度も目や耳にしていると思いますが、そこには莫大な記憶情報があります。表面上の意識(顕在意識)が思い出して引き出せるのは、ほんの一部です。
情報を記録する際、平常モードであれば、理性によって要素が区別されます。曇り空、アスファルト、寒い、ヘリコプターの音、といった複数の要素を、ごっちゃにならないように整理します。
しかしそこに苦痛があると、理性が弱まります。各要素がきちんと区別されず、苦痛と一緒にごちゃごちゃした状態で保存されます。これが、トラウマの生まれる瞬間です。
ですからトラウマを抱える人は、不合理な心の反応をします。列車事故で酷い体験をした人が、以降、怖くて何年も電車に乗れない。といった話です。この人の場合、電車には乗れなくても、自動車なら問題なく乗れます。
電車で酷い経験をしたからと、また同じような目に遭う確率は極めて低いです。比べるなら、明らかに自動車の方が危険な乗り物です。心の反応が、合理性を失っています。
この人の記憶領域では、「電車、苦痛、恐怖」といった要素が、区別されずに、ごちゃごちゃになっています。「電車=苦痛、恐怖」となり、心は電車を危険なものと見なします。
なぜトラウマが解消されないのか?
肉体の痛みで、考えてみます。例えば、左膝に痛みがあるとします。この痛みをもっとも強く感じるには、静かな環境で目を閉じて、意識を左膝に集中させます。痛みを弱めるなら、その逆です。テレビや話などに夢中になれば、さほどには感じられなくなります。つまり、意識を痛みに向ける度合いの大きさに比例して、感じる痛みの強さが変わります。
精神的な苦痛であっても、事情は同じです。その出来事に意識を向けるほど、苦痛は増します。直視せずにぼやかしておけば、軽減します。
トラウマには例外なく、この“ぼやかし”があります。苦痛を感じた瞬間に、それから逃れるために理性がショートを起こします。心を守った代償として、その記録は苦痛とともに、ごちゃごちゃになって保存されます。
以降、時間が経過して、改めて理性が整理をし直したなら、トラウマは解消されます。しかしそこにある苦痛から目を背け続けている限り、トラウマはトラウマのままです。これは顕在意識、潜在意識、双方の話です。
トラウマを抱えて、起こる出来事
トラウマ領域では、理性が利かなくなり、論理的な思考が妨げられます。全体的には普通に知性のある人でも、トラウマ領域では心の反応、思考が狂います。まともな人なのに、ある部分の話になると、おかしな事を言い始める。といった人は珍しくありませんが、その背景には、この問題があります。
軽度であれば、心の反応が狂わされていても、理性の働くまともな部分で「自分の心の反応はおかしい」と自覚します。重度になると、トラウマの苦痛によって理性全体がショートさせられ、自分がおかしいとも気付けません。
例えば、交際した男性に傷つけられた女性がいて、「そんな人ばかりじゃないと解っているけれど、どうしても警戒心が強くなる」と言っていたら、狂わされ方としては軽度です。「とにかく男性が信じられない。まともな男の人なんて、いるわけない」と本気で言っていたら、重度です。
またこうしたトラウマがあまりに辛く、感じる、考える、などの全てを麻痺させたら鬱状態に入ります。麻痺によって現実と空想の区別がつかない状態、目覚めていながら夢を見ているのと近い状態になれば、統合失調症と呼ばれる症状が出てきます。
トラウマを軽減、解消する
記憶、苦痛、理性、への何れかのアプローチ
トラウマとは、「記憶 + 苦痛」です。そこには、理性の麻痺があります。ですからトラウマを軽減、解消するには、これらの構成要素の何れかにアプローチをします。
記憶
もしも記憶そのものを消してしまえるなら、トラウマも消えます。出来事の記憶がなければ、セットになっていた苦痛もありません。稀に、器用な人がこの試みに成功します。
しかし、記憶は絶対に消えません。仮に成功したように見えたとしても、実状は麻痺の強化に過ぎません。意識がぼーっとしてクリアではない、思考力や注意力の低下、といった弊害が必ずあります。
またトラウマを覆い隠し続けられる保証もありません。偶発的にも、その出来事を思い出さざるを得ないトリガーが引かれてしまうリスクがあります。
苦痛
記憶から苦痛が消えたなら、トラウマはトラウマではいられなくなります。それは完全に過去の出来事になり、今の自分の心を乱すものではありません。
理性
トラウマの出来事が理性によって再検証されたなら、そこにある要素は整理されます。苦痛と他の要素とは、分離した別々のものだと正しく理解されます。カウンセリングや認知行動療法は、これを目指します。
ただ苦痛が強い状態では、この作業は困難になります。どうしても心が及び腰になって、麻痺を解こうとしません。強引に直視したなら、相応の激しい苦痛を覚悟しなければなりません。
苦痛の軽減 → 理性の回復 が王道
苦痛の軽減と理性の回復とは、密接にリンクしています。苦痛が減るから、直視できるようになって理性が回復する。理性が回復して、他の要素と苦痛とが分離されるから、苦痛も抜きやすくなる。
では、どうすれば苦痛を減らせるのか、どうすれば理性を回復させられるのか、については、他の記事でテーマに沿ってお伝えしていきます。この記事は基本ですので、全体の概略を捉えてください。
トラウマが解消されるイメージは、このようなものです。見たもの、聞こえた音などの要素が、苦痛とセットにごちゃごちゃになり、全体としてボヤけています。それが整理されてクリアになり、苦痛も一つの要素として分離されて記録されています。
実はここにある苦痛には、もう一点、決定的な違いがあります。左の赤い文字の苦痛は、今現在にあります。右側にあるものは、同じ苦痛であっても過去です。過去のその時点で苦痛があったという記録であって、今の自分にとって辛さはありません。
少し解り難いと思いますので、思い切って、苦痛は物質だと捉えてください。物ですから、増えたり減ったり、保存できたりします。苦痛という物質が記憶領域から減少すれば、理性もその度合いに応じて回復できます。理性が苦痛という物質を認識したなら、無くすように動きます。心には元々、苦痛を無くす機能が備わっています。理性がボヤけていると、その機能、心の自然治癒を発揮できないのです。逆に言えば、直視して認識してさえしまえば、必ず心の自然治癒が動き始めます。
まとめ
トラウマとは、「記憶 + 苦痛」の組み合わせである。苦痛から逃れるために理性を麻痺させ、そのまま残ってしまったもの。
忘れるという手段は、麻痺を強めるだけで、根本的な解決にはなりません。トラウマを解消させるには、苦痛を軽減させながら、理性を回復させるのが王道です。
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